フィリピンから帰国して、今日でちょうど一週間なのですが、まだ疲労が回復していない……。
帰ってから雨が続いていますし、また気温差もあります。体の気の調和が戻っていない……。
向こうに居た間も、台風、猛暑、豪雨と厳しい状態だったの常に疲れていたのがそのまま戻りきっていません。
こういうのが着実に寿命を縮めているのだろうなあという気はします。
表でゆっくり気功が出来ないと、中々回復させるには時間がかかってしまいます。
本当は本日、野外で都内練習のはずだったのですがそれも台風で中止となってしまいました。
それはそれとして、疲労の回復にはいい面もあると思うのですけれどもね。
ただ、これが一定の状態まで回復しないと次のステップに進めません。
本年にて師父からの蔡李佛の教程を終了させ、また一方でタイの仏教医学、およびタイ式気功への道に進む予定なのですが、その道に進むためにはやはり一定段階までは疲労の回復が必要。
そのようななんとなくのとは言えこの先の目算があるのですが、その道の大目的はやはり生きるということの伝達です。
歴史の真実や現状の実態などを日々書き綴っているのは、そのためです。
これは本来、仏教武術である蔡李佛拳の思想なのですが、その内容の内気功や発勁があまりに危険であるために、公開を絞ってしまっているので多くの人にはお伝えしていません。
そのために同じ南少林武術の流れを汲むエスクリマ、ラプンティ・アルニスを通して伝えることは出来ないかと模索してきました。
しかしその徒手部門であるモンゴシがやはり秘伝とされていて公開が禁じられているためにまた同じことになってしまいました。
これは、明確に段階を分ける必要があるかもしれません。
アルニスにはアルニスの部で出来ることをより特化して追求してゆくほうが良いかもしれない。
これを私は、哲学ではなく祈りの段階の武術と呼んでいますが、祈るように剣を振ると言うことをこの武術を通して学んでゆくことを大切にするべきではないかと思います。
祈りと武術の一体ということを学ぶのに、伝統民族武術は非常に適しているように思います。
今回の渡航で、グランド・マスタルは私に「俺がプロモートしてお前をグランド・マスタルにする。これは約束だ」と言われました。
これは初め、私はいま一つ受け止めることがしづらかったのですが、いまは目を向け初めています。
より多くの人々に、祈りとしての武術を伝えることが出来るとしたら……?
時間をかけて検討してゆくべき課題です。