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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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経典解析中

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 マニラから持ち帰った資料と技法を整理中です。

 現地でも一回は出来るようにしているのですが、なにせ情報量が膨大。二、三回出来るようになったら「よし、はい次」と言う調子で教えられてきたのですさまじい量の物をもらってきてしまっています。

 なのでその場ですぐにメモを取らせてもらい、出来るものは撮影をして復元が出来るようにしてきたので、それらを合わせて復元して練習し、体に入れてゆきつつ、伝えられた物のコンセプトを解析してゆくという作業です。

 これを経典の解析と呼んでいます。

 この結果、現状の見解ではベルシオンと言う組型の部がどうやらアルニス(バストンの方をこういうニュアンスでいう)の物で、ファイティング・ポジションあるいはストリート・ファイティングと呼ばれていた組型の方が剣術らしいということが見えてきました。

 ベルシオンの11本では打ち込んできた相手をいかに捕まえて仕留めるかという構成になっています。相手の棒を掴むこともあるし、もぎ取ることもあります。

 対してストリート・ファイティングでは相手を掴まえはせず、足さばきで攻撃をかわしつつ小手を打つ動作から入ったり、相手の攻撃を受け止めずに叩き落としたりします。ベルシオンと比べて突きも非常に多い。

 また、その動作は別の時に「ラルゴ・マノ(LORGE MANO.長距離)だ」として習った物と同じ物があります。また、立ち方も身を一重にして相手に向ける幅を非常に狭くしていたりします。

 だとすると、ストリート・ファイティングはゲリラ戦の時の刀剣の技術である可能性が高い。

 ベルシオンは、アルニスとして確立されて以降の技術か、あるいはバハドの時代にドセ・パレス派として活動していた頃に出来たものかもしれません。

 習った順番は、ベルシオンやってからストリート・ファイティング。

 バストンから刀剣の技術にシフトして行くというカリキュラムがうかがえます。

 ディスアーミングやロッキングと比べると剣術は複雑ではないのですが、実際に使うことを考えると足さばきの精度やそれと合わせる手の動きのタイミングが難しい。

 カウンターで避けながら手を打ったりするのはやはり、かなり訓練が必要なことでしょう。

 これ単体だと私のように性質的に鈍い物にはとても手が出ない物になってしまうのですが、バストンの技術で打ち合いをした間合いの感覚などの土台があればだいぶ楽になるような気もします。

 そう考えるとやはり、ブレードの部分だけを切り離すことは勝手が悪いように思えてきます。

 逆に、バストンでの地力が洗練されると刀剣のシンプルな技に昇華されるという解釈もできます。

 となると上級者はやはりこのブレードのテクニックもやった方がいい。

 この次の段階で習ったいくつかの刀剣術のテクニックは、このストリート・ファイティングが見に付いた後により真価が感じられるものかもしれません。

 だとしたら、やっぱりこれも公開したほうがいいのでしょうね。

 なんというか、うちは安価で平和的に皆さんに楽しんでほしいので刀やナイフという物騒な物は取り立てて区別して練習しないで来たのですが、もしやりたい人が居たならやりましょうか。

 道具のお金がかかってしまうかもしれない。

 刃筋が分かるように、木製でも紙製でもいいのですが刀剣の形状をしている物が欲しくなります。

 刀剣技術習得志望者は、相伝費代わりに私に練習用の物をくれるというシステムにしましょうか。

 金属性の刀剣やナイフの練習を好む人の中には刃物の技術を習得するのにふさわしくない人となりの人も居るので、あまり誰にでも人を斬るための技術を提供したくない気持ちがあるのです。

 グランド・マスタルと練習をしたときは金属製の、GM手製の道具で行っていたのですが、やはりバストンでの練習の時とはまた一味違う少し嫌な気分がありました。

 うちのグランド・マスタルは現職の兵士で、練習仲間にも同じ隊の人もいます。

 ジムの二つ隣はムスクでそこの若い男性たちが一緒に練習をしています。

 兵隊チームは、実際に出撃して人を殺しているかもしれない。昨年のミンダナオの内戦にも参加しているかもしれないし、それ以外に別の作戦で同じことをして命の奪い合いをしているかもしれない。

 練習中、定期的にムスクから響いてくる、割れた音質のコーランの詠唱。その間、GMの顔が少し曇るのを見逃しませんでした。

 そのような環境の中で、模擬刀とはいえ切りあいの練習をするのはナーバスになるものでした。

 いまだ恒久的な平和が訪れていない国に行って、現実の、生の戦争の真似事をして喜ぶ趣味は私にはありません。

 しかし、伝統の技術を学びたいといっても、その伝統の時代と現在の政情がいまだに区切れていないのがかの国の現状なのです。

 これは真摯に学ぶ人間以外に気軽に渡してはいけない物だと思いました。

 ナイフの技術もしかり。

 しかし、ナイフのカリキュラムを経ておかないと、その次のエスパダ・イ・ダガ(刀剣とナイフの二刀流)がしっかりと学べない。

 先人がよく考えて設定してくれている教程を、私のような物が簡単にむげには出来ません。

 この辺りの部分は、歴史的な剣術時代の物からバハドを経て現代戦にまで続いている、伝統系ゲリラ戦エスクリマを学ぶものとして取り組み方に敬意を示さないといけない部分です。

 断片を散漫に収集するのではなくて、全体をそっくり掴もうとするなら、順番に手に触れていくことになる。

 自分の手で書き落とされたノートの文から浮かび上がる物の姿に、改めて気の引き締まる部分がありました。 


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