帰国して二週間、日本は十月とは思えない暑さが続いていて、まだ夏が終わった気がしません。
気温のせいか、虫の声も耳にしないような。
そのためか、どうも身体の疲れが取れない。
夏の酷暑からフィリピンの猛烈な暑さ、そしてそのままいまに至って、気功学で言う暑邪が抜けない感じがします。
この状態のまま、思ったより忙しく暮らしています。
先日の連休は練習会を行い、その夜には師父から連絡をいただいて自分の稽古に伺いました。
夜の公園で並んで話しながら、思ったことを話したり、気づいたことを質問して動きの相談をしたり。
そうしていると、不意に師父が言いました。
「終わりましたねえ」
いまの私の蔡李佛の伝がです。
公式には来年の一月にテストをする予定なのですが、そこまでの教程の内容すべてをいただきました。
およそ十年。一つ一つの練功法や套路を時間をかけて教えていただきました。今後は別伝の物を教わりながら、いまのように相談をさせてもらいながら落ち合ってゆくことになります。
「最近、自分がカンフーをしているんだなって思うんですよ」
と師父が言ったので、なぜ今更なのですかと訊いたところ「他の人たちにも兵器が出来る人が出てきたり、あなたも独り立ちをしたりしているので」という答えが返ってきました。
私が師父になったばかりのころ、師父が何かで「よし」とか「いい」とか言ってくれるたびに「え、卒業じゃないですよね? 中国の破門じゃないですよね?」と訊いていました。
中国武術では、行いの悪い弟子やこれ以上教えたくない人には「お前はもう卒業だ」と言って追い出すのが習わしだそうです。
周りにもそれを知らしめて「うちを出したやつ」と証明するためにわざわざ卒業式や証文を出したりすることもあるそうです。「お前にはもう教えることはない」というセリフはそういう意味です。
ブルース・リーは十代のころにわずか二年ばかりウィンチュンをやっただけで「俺はもう師匠を越えた」と思っていて自分で勝手にウィンチュンは卒業にしたそうですが、実際には彼の師はそれまでも一度も直接指導はしておらず、また偉くなって香港に帰ってきたリーが会いに来ても「うるさい、出ていけ無礼者」と追い出したりしていたそうです。
私はそのようにして、師父から遠ざけられることを恐れていました。
その後、師父が忙しくなり、一年ばかりも音信不通になることもありましたが、その間に逆に不安にならなかったのは、卒業の不安におびえていた時に毎回「いや、まだまだ」と言ってくれていたからです。
「あなたを香港や世界の師父たちに負けない実力にしなければいけない」といつも言ってくださって、近年はようやく「うん、これなら世界に通じる」とそのお墨付きもいただきました。
時には師父のあまりに大陸的なペースに焦ることもありましたが、結局はそのような時間の感じ方こそがもっとも大切なことだというのは見失なわずにいられました。
私がフィリピンに行ったのも、世界を歩いて自分がどう通じるのかを知るといい、とずっと昔から言われていたからです。
今回の渡航では、向こうのグランド・マスタルからも将来のことを話していただけました。
長い間、何も進めないように感じられる日々もありましたが、いまはものすごい速さで物事が展開していっているようにも感じられます。
それまでの蓄積があったからでしょう。
もしそこで土台が固められていなかったら、きっとこの加速で色々なところが剥がれていってしまっていたかもしれない。
これからは、いまの師父と同じく自分が伝えている人たちの在り方が私の物差しとなる部分も増すのでしょう。
何も持っていなかった私にも、気づけばそれなりに蓄積された物が出来ていて、年齢並みの時期が始まってきているようです。