以前から声明していますが、うちでは打人法をやっていません。
打人法というのは人の打ち方のことです。
これは打たれると死んでしまうツボや声が出なくなるツボ、金縛りになってしまうツボなどの知識のことを差す場合もありますし、相手の気をそらしたり、フェイントを掛けたりすることが含まれる場合もあるようです。
また、相手の気血水を読み、そこを打つという教えもあるようです。
相手の体内の血を打ち、血液を通して衝撃を全身に伝えて倒す。
あるいは気体を、または水分を。
そう書くとすごく複雑な感じがしますが、人によってはそれは単に、酸素の通る気道や肺を打って呼吸困難にするだけだとされていたり、血液の多く溜まる肝臓や心臓を打つというボクシングなどでも普通に行われていることであったりすると書いていることもあります。
とはいえ、そこにさらに深い要素が入ると、ここに自然の働きが影響するという考えがあります。
外気、自然の力です。
よく、潮の満ち引きで打つ、などと言いますが、潮汐というのは月によって行われているので、月齢、すなわち太陽と月の陰陽の円環が打人に関係しているというのです。
血液というのもまた月の引力の影響を受けているのでどこに血が溜まりやすいかというのが暦によって変わるということがあるのだと言います。
出た暦。これは難しいところです。陰陽思想そのものがどこまでが有効でどこからがシャーマニズムなのかという境界がこの暦足りえます。
日本における道教の専門家である陰陽師が実質カレンダー屋さんであったように、暦というのはかなり実用とお呪いの両要素が合わさったものです。
確かに月の位置によって血液は引っ張られると思うのですが、どの程度それが人を打つ時に影響するのかは私にはわからない。
いずれ殴られれば効く気はします。
でももちろんだからと言って信憑性の無い説だということも出来ない。
体内での血液での位置という話で言うと、打人法の内には相手の血液や気を誘導しておいてそこを打つという物があるというのもよく聞くところです。
緊張したり恥ずかしかったり少し走ったりお酒を飲んだりすると血液はすごく高速で顔に上りますね。上気なんていいます。
それを誘導しておいて、そこを打つと言うのですがこれ、門外漢からしても実はちょっとわかるような気がしないでもない。
ツボや経絡のことは分からないのですが、相手の気を集めると、そこに力の流れが通ります。
それは、地面から登頂までに至る身体を流れる力の軸がそれで強く集まるからではないでしょうか。
軸とは重心の集合だと言ってもいい。
そうするとね、相手の中身が固定化される訳です。
軽くてふわふわ漂っている物を打ち抜いたり打ち砕いたりするよりも、一定の重さがあって固定されていた物の方が打ちやすい。
これをするためのコンビネーションや、また扣打という相手を捕まえて固定して打つやり方があります。
そういうのを絶招なんていうのでしょうが、まぁそういう物は用法としては内にもあります。
だからまぁ、鍼灸の理論に基づく精密な打人法の理論というのはうちではやらないのですが、大枠のうちに入るようなことだけやってたりします。
そして、その観点から見ると、相手の内側の気を集めて打つということって、その意味では推したり引いたりして崩して打つという手法の物にもあるとも言えるような気がします。
これはうちの借力と、相手の内側の力の流れを打ち砕く発勁との関係にもなると思うのですが
、さらに大きく言うと、実はすべて同じことの用法の違いにもなるのではないかという気がします。
相手の気のつながりを崩さずに押し飛ばせば推、つなげたまま崩して倒せば借力、つながりそのものを打てば打、同じ勁の使い方の違いです。
また、点穴や断脈というのも実は、相手の膜の中の勁をとらえて小さい勁で傷つける方法だとも聞いたことがあります。
人の体内に流れる力を感知してそれを捉え、どう扱うかに集約されていると考えてもいいように感じているしだいです。
少林拳の二大要素は易筋と洗髄。
すなわち、自己の勁の育成と感覚の洗練です。
感覚があるから相手の体内の勁も読み取れて、そこをあしらえる訳です。
そのため、ここからスタートしてそれを突き詰めてゆくというのは肉体的な訓練の中核になります。