この年末に観た映画の多くが、現実を認識しそこねている人に自分自身の姿を突き付ける物となっていました。
これは社会現象として自己愛と現実認識の問題に関心が高まっているということでしょう。
ネタバレしないところで行くと「大人の恋は、回り道」というキアヌ・リーブスとウィノナ・ライダーの恋愛コメディは、自己愛性人格障害のせいで独身のままアラフィフになってしまった美男美女の痛い行動をギャグにしたブラックなラブコメディでした。
この、ホワイト・カラーの結婚が遅くなっており、独身率が高く、少子化が加速しているというのはアメリカの社会問題としてこの二十年ばかり語られてきているのですが、その一因に高度な経済社会における歪みとして自己愛性人格障害者が増えていることを示唆しているのでしょう。
「ブライト・ライツ・ビッグ・シティ」や「アメリカン・サイコ」で書かれていたテーマです。
経済的圧力が強い社会は、そのような現象が起きやすいということをアメリカ社会は先行して理解していたのですね。
現在公開中の「アイフィール・プリティ」でもこの現象が非常に辛辣な形で発信されていますし、子供たちが観るアニメの「シュガー・ラッシュ:オンライン」ではこれが世界を滅ぼしかけるさまが描かれていました。
もともと、シュガー・ラッシュは不法移民や社会階層の低い人たち、先天性の障碍者などの社会化を描いた鋭いアニメ作品だったのですが、続編では「しつこくて嫌われる破滅的な人格」と明言されている心理傾向がこれでもかと言わんばかりにグロテスクな形で描かれて、一大危機を引き起こします。
その姿があまりに恐ろしくて、劇場の子供たちの中には泣いている子もいました。
一作目では社会化、そして二作目では社会参画したことによる自我の肥大という連なったテーマが描かれている訳です。
これは、トランプ政権下における、トランプ支持者の原理主義キリスト教徒や銃規制反対論者、人種差別主義者へのメッセージが含まれているのでしょうが、ではなぜ、社会への濃度の高い参加が自己愛の暴走を招くのでしょうか?
この問題に対して、ある発達障害の当事者の方が「我々はリソース不足なんだ」と主張している文章を読みました。
企業や社会が設定している「こなすべきライン」の設定が高すぎるために、それを一日こなすと余力が残らない。
そのため、人生を送るためのリソースを消耗してしまう。
リソースというのは、資本のような意味ですね。
例えば、完全なバイタリティが10あるとして、そのうち、一日で活用していいのは7までだとします。
残りの3は全体を10に維持しておくために使われる資本です。
しかし、ノルマの要求が8や9までのバイタリティを奪ってゆくと、資本が2や1になってしまう。
この2や1が損なわれることで、翌日に全体を10に回復させることが出来なくなってしまいます。
ダメージが残る訳です。
この繰り返して、やがて自己像そのものが消耗していって、元の10までの容量のあった人間とは違うパーソナリティの人になっていってしまいます。
つまり、鬱や肉体的な病気、人格障害などの二次障害です。
激しい消耗に対する方法として、スピリチュアルなどの焚きつけ系、アッパーな物で火気を挙げて景気づけをしようとするほど、この消耗は激しくなります。
そこで人間性を制御するリソースが減っていることで、目先の欲望に暴走して現実から目をそらして楽になろうとする習慣が癖づいた、自己愛性人格障害に向かってしまうのでしょう。
これが、知的富裕層の場合は圧倒的なノルマの高さという形で起きえます。
どれだけ能力が優れていても、そのリソースを削るまでの高さのノルマに従っていれば同じです。これは誰にでも起きる。
だから前述の、富裕層における独身率の向上、少子化の「アメリカン・サイコ」状態が起きるのでしょう。サイコとは、精神病者のことですね。
この状態を、件の発達障害の人は「リソースのその日暮らし」と書いていました。
上手いことを言います。
つづく
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人生のリソース・3
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