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幸せな生き方

 ケニアの人に「ARE YOU HAPPY?」と訊くと「俺は健康だし、両親は元気だし、俺の家には屋根がある。幸せだよ」と誇らしげに答えられることがままあるそうです。

 この話をしていた人は、これに対して日本人はどうでしょうかと言われていました。

 確かに、日本は世界的に幸福度が低い国だとよく聞きます。

 この違いはおそらく国風にあるのでしょう。

 戦後、高度成長期を通して、私たちは「お前たちは不幸になる」と呪いをかけられてこなかったでしょうか?

 少なくとも私にはその自覚があります。

 子供の頃から、周りの大人たちに「お前たちはこれが出来なければならない。あれが出来なければならない。そんなこともできないのか」と裁かれ続け、それが出来ないならお前たちはいい人生を送ることは出来ず、ろくでもない暮らしに陥ると常に強圧されていたように思うのですが、それは一部の例に過ぎないでしょうか?

 実際に私は「お前は公立の中学なんかに行くからそこで殴られるがそれは当然のことだ」と親に言われたことがあります。

 その県下でも有数の不良校の学区に私を引っ越しさせたのはそれを言った当の本人だったというのに。

 その町では同年代のほとんどが、ただ居るだけで大人たちからささやかれて後ろ指をさされ、下手をすれば通報されたり警戒の連絡が回されるような気風がありました。 

 その町をそうしたのは大人たちだったでしょうに。

 これはもう、地域が初手から訳アリの場合のケースなのでしょうけれども、おそらくは多かれ少なかれ、いい学校を出ていい会社に入っていい人見つけていい子供を育てるのが日本人の幸せだ、という強固な思い込みの刷り込みはどの地域でもあったのではないでしょうか?

 そして、その鋳型にはまらなかった人間はどうしても生きづらくなる、というのが社会の基本構造だったのではないかという感じがします。

 それは、裏を返せばそのコースから外れればお前は不幸になると言う呪いが常に言外にちらつかされていたということではないでしょうか。

 そのようにして育てられれば、常にモチベーションは恐怖からの回避、逃げにならざるを得ないように思います。

 おびえて逃げるための人生……。

 そんな環境では、幸せな人生を送るのは難しいことでしょう。

 またさらに言うと、提示されたコースに逃げ込んだとしても、そこがブラックな物であり実際は幸せにはなれない可能性も高いということがいまでは判明しています。

 じゃあどうすれば幸せになれるんだよ、という疑問は当然出てくるもので、そこで引きこもりになったり精神疾患になってしまう人がいるのも当然のことではないでしょうか。

 そこで人の心を幸せにするための生き方を模索する道として、いま私はこのような活動をしていて、こういった文章を書いています。

 幸せな暮らしを送るためには、何かの組織にこびへつらったり、人の足をひっぱったり機を見て何かをかすめ取ったりするのではなく、純粋に幸せになる力のような物が求められるように思います。

 その力は、ただ心だけにあるのではなくて、実は体にも宿っているというのが東洋医学の考え方となります。

 詳細は次回につづきましょう。


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