身体の柔らかさに関する誤解について書いてきていますが、ここでもう一つの誤解について書きたいと思います。
それが、動きの柔らかさについてです。
もっとも愚かしい勘違いが、関節の柔らかさと動きの柔らかさの混同です。
この二つは、ほぼまったく関係がありません。
どれだけストレッチをしても、柔らかい動きが出来るようになるわけではありません。
柔らかい動きというのは、動作そのものから生まれます。
特に、武術に関してはこの誤解が多い。
さらに言うなら、柔らかい動きというのは別に無力な状態であれば良いと言う物でもありません。
このことに関して、ある老武術家は動きの柔らかさには四つの物があると分類していました。
それは、硬、軟、剛、柔です。
硬と軟に関しては、純粋に物理的な物です。
硬は硬く固まった状態。軟は単に無力で力の無い状態です。
もっと言うと、これは素人の状態です。
剛柔に関しては話が違って、剛というのは力強いけれども固まっていない状態。
柔というのは、柔らかいけれども無力ではない状態です。
硬軟のレベルを超えて、剛柔に至るのが武術における進歩だとこの先生は主張していたように記憶しています。
個人的な解釈を加えるなら、硬というのは一定の力が加わるとポキっと折れてしまったり割れてしまったりするような、弾性の低い状態。
軟というのは紐や完全に静止している時の水のような状態。
対して、剛というのは強い勢いで流れている時の水のような角は立っていないけれども圧のある状態、あるいは、太い丸太のような状態。
柔というのは、それらが形を変えて力が途絶えることの無い状態だという気がします。
うーん、剛と柔がほとんど同じになってしまった。
この解釈でいうと、脱力しておいて突然力を込めて固める、というのは単純な素人力となります。
これは老先生も同じように言っていたように思います。
対して、剛柔は、剛の中に柔を含んでいて、柔の中には剛が含まれるので、明確に区切られるというよりも一つの物の比率の違いであるように思われます。
そう考えると昔から言うように、剛柔は一つの物であるように考えられます。
決してまったく違う物ではない。
ここに、中国武術的な考えを入れるなら、それは力の長さなのではないか、という気がします。
硬軟は瞬発的な区切れる力なのですが、剛柔は力が途絶えていない。
中国武術の言葉で言う、長勁となります。
これは逃げても止めても長く続いて浸透してくる力となるのですが、この力は別に関節の柔らかさとは関係がありません。
さらに言うと、動きの柔らかさとも関係が無い。
これは力の柔らかさです。
どうも柔らかさと言う言葉が出てくると、思考停止をして頓珍漢な思い込みにはまり込んでしまう運動家があまりに多いようなのですが、この辺りは明確に区分しないと、目的地にたどり着くことが非常に難しくなるように思います。