またちょっと、答え合わせがやってきています。
私の行、特に気功の方のはただやれと言われたことをよくよく身に着けようとしてやっていると、ある時に何か変化が起きます。
それを師父に言うと、そうなりましたか、じゃあこれをやりましょう、と次の段階に進ませてもらえます。
その繰り返しでここまで来ました。
先に答えありきや、結論を求めて練習はしていません。
常に答えは後です。
今回もしかり。
どうして私がここまでこれたのかの答えが少し見えてきました。
それはどうも、功に関して一喜一憂しない、あまり喜ばないから、というのがポイントだったようです。
師父が逐一説明をしなかったのも、私が求めないようにでしょう。
先に答えを知っていたら、どうしてもそこに自分を誘導させようとしてしまいます。
そうなれば何か妄想のような物に陥りかねません。
私の生徒さんにも、そういうことはまま見られます。
執着を離れることが大切だと初めに言われているのですから、余計な我欲なんかに囚われていてはいけない。
でもみんな、評価を求めて自分を大きく感じたいのか、すぐに自分に都合の良いように自らを粉飾しはじめてしまいます。
これは当人の問題なので、私もそこの部分まではどうにかするのは難しい。
これこそが資質という物なのでしょう。
資質が無い者は、やはりそのままでは行ける限界がある。
私自身もそれは同じことでしょう。
今回の答え合わせで、以前に書いていた「ノロイ」のことも少し分かりました。
これもやはり、ある程度の功を積むと良くあることだそうです。
ある先生が教えていた生徒がやはり、この段階にまでは行ったようなのですが、そこでこのノロイを濫用していたと言います。
結果、当事者が偏差で異常をきたしてしまったようです。
結局、このような力を制御する資質が無く我利のために用いることが出来てしまう人間は、自己のバランスを取ることが出来なくなって自らを消耗させて、破滅させてしまいます。
この先生は、このようなノロイを目的としたような人間は破門とすることが社会のためでも当人のためでもあると書いていました。
やはり、これが資質なのです。
また逆にある人は素晴らしい才能があって金華を得るところまで行ったのにそこで辞めてしまったと言います。
これらはみな、資質の問題です。
それを乗り越える唯一の術は、自分自身の自浄作用しかありません。
どれだけ師が同じものを与えても、成果はそれぞれによって違いが出ます。
自ら破滅をしてゆくこともまた。