以前に台湾の先生から苗刀を教わった時に「これは蟷螂拳の苗刀だからね」と前置きを受けました。
あまり良く意味が分からないままただ、あぁそうかと思っていたのですが、その意味が最近分かり始めてきたような気がします。
苗刀は、というかより正確に言うと倭刀と言った方が良いですか、中国に渡った日本刀は、ものすごく普及して時代によっては官兵の制式兵器として使われていたとも言います。
それくらいに普及していると言うことは、その用法もまた多様性があるということです。
これ、現代人の感覚からするとちょっと想像しづらいのですが、道具はその道具ごとに決まった使い方がある、というのは比較的現代的な考え方かもしれません。
昔の人は、同じ道具でも違う使い方を工夫しました。
武術の門派というのはそういった考えを前提にしたもので、いわゆる四大兵器と呼ばれる棍、刀、槍、剣は多くの武術門派に共通して存在しますが、その使い方は流派ごとに変わるのです。
発勁というのは、その門派ごとにまつわる兵器の扱い方の源動力となる物です。
つまり、日本の剣術流派のように技や戦い方が違うというレベルではなくて、そもそもの力の使い方が根本的に違うというレベルで、でも同じ兵器を扱う訳です。
老師からは教わる武術は、初めにお願いした五祖拳以外はお勧めに従っています。
このところ良く書いているように、いまは通臂拳を教わっています。
それより前から苗刀を教わっており、その時に八寸の延金なども習ったのですが、いまにして見えてきたことがあります。
非常に普及した苗刀ですが、その中でも特に有名なのは通臂拳の物です。
これは大戦期のゲリラ部隊が用いていたことでも知られていますし、また民国時代には国術館で教えられて普及したと言うのも、国術館の指導員として通臂家の武術家が幅を利かせていたためでもあるでしょう。
となるとですね、これ、いままで苗刀は漫然と扱ってきましたけれども、通臂拳の身体の使い方で扱うのがおそらくは正しい。
せっかく蟷螂拳の苗刀を教わりましたけど、私は蟷螂拳がまったくできませんからね。
かといって、蔡李佛でやって蔡李苗刀とやってもいいですけど、間違いではないかもしれませんが、正しくない。
なぜなら套路が蔡李佛のものではないですからね。
応用は利くでしょうが根本的に隅々にまで合理性が行き渡った物ではありません。
きちんと、元々それを作った人たちが基本としていた通臂武術の身体の使い方で刀を扱った方が正解でしょう。
私も一から見直して、用勁を苗刀に合わせて稽古しなおしたいと思います。
と、ここで個人的な稽古日誌的に終わらせても良いのですが、この視点から見出される物がありますのでそちらに論を展開したいと思います。
通臂武術の看板兵器と言えば、苗刀の他にもう一つ、瘋魔棍があります。
私は昔からあれを観るのが好きで、すごいなーと単純に圧倒されていました。
他の棍とは全然違う。
我々のやっている棍などは勁を強くする重い棍なのですが、瘋魔棍はビュンビュンと実に豪快に振り回されます。
単純にそれに圧倒されていたのですけれども、いや待てよと。
以前にも書いてきたように、明朝時代の兵器においては、棍や剣、刀などの詳細は実にあいまいです。
用法が同一視されることが多いのはこれ、基本となる拳術の用勁があるからでしょう。
となるとですよ、苗刀の基本となっている、刀を棍のように持ち替えて使う方法のルーツって、おそらくはこの瘋魔棍と通じているはずです。
そう考えると、やはり一つの門としてこれは実によくまとまって完成された物だなあと改めて思わされる次第です。