さて、前回は内家三拳の提唱者、孫禄堂先生の最大の師である郭雲深師の拳訣の内、二つを紹介しました。
そして、これらのことを現代日本の中国武術家たちはおそらく理解も実行もしていないのではないかというところで終わりました。
今回は三つの教えの最後、三種の練法について触れたいと思います。
三種の練法とはすなわち、一に明勁、二に暗勁、三に化勁だと言います。
これ、直接文章に明記されていることを引用しますと、明勁とは全て規定通りに行って少しも変えてはいけない物で、全体を調和させて整然とさせ、乱れることなしとあります。
暗勁とは神気をのびやかにしてこだわりがあってはならず、滞ることなしとあります。
三の化勁とは、みな力を用いてはならず、もっぱら神意を持って運用する、とあります。
外面的な形式と内面的な規矩は明勁や暗勁と異なるというものではなく、すべては神意が貫通しているかどうかある、と書いてあります。
この三種の練法に、三層の道理と三歩の修練を合わせて読み解くと、明勁とは練精化気の段階で易骨行の物であり、暗勁とは練気化神を持って行い、易筋で行われる物であり、化勁とは練神環虚の段階の物であって洗髄にて行われると解釈することができます。
こうしてみると、明らかに易骨も易筋行もしていない人間が形意拳をして理解できるという気がしません。
私が平素、蔡李佛の行として行っている練気化神、練精化気の気功や不見識の人が筋トレと呼ぶ易骨、易筋の行を知ることも理解することもなく形だけを練習している日本人武術家は、おそらくこの郭先生の教えを理解することは出来ない。
三種の練法にある明勁の「形通りに行うべし」という一部だけに特化して練習をしているということになります。
だからまぁ、上手くすれば明勁の一部分は体得することも出来るかもしれません。
もちろん、特別な才能があってクリティカル・ヒットのように偶然悟りを得ることのできた天才には全ては可能であると思います。
しかし、一般的な日本人の内家拳の教程に足りていない物がこの郭雲深先生の解説の中に明確に顕されているように思います。
本稿の意図である、日本人の中国武術の間違いという部分に大きく触れることが出来ました。
この元祖の教えはそれからさらに大きなところに私たちを導いてくれます。
それは、初めに書いた「太極拳の伝播が誤解の伝播なのではないか」と私が着想した部分となります。
次回に稿を改めましょう。
つづく