中国の老師からのオンライン・レッスン、岳家拳が後八路の半分まで来ました。
すごい。
後八路はより形意拳の痕跡が明確で、一路目から半歩崩拳が登場します。
二路ではそこから進歩崩拳。
おぉー、という感じです。
このところ昼間の仕事が忙しくて、練功は五行拳だけで済ましてしまうという日が時々あったのですが、その時に寝られていた抖勁が、岳家拳でもものすごく利いています。
とてもいい。
岳家拳と五祖拳を習っているのですが、五祖拳でもこの抖勁はとても良い影響があります。
ほとんど無意識に出ているのですが、それこそがまさに技では無くて練功の練功たるゆえんでしょう。
そう。
日本人の中国武術観で掛けている功の部分です。
この国では、いわゆる内家拳は交差法だから高級である、とかいう頭の悪い嘘理論みたいなことがまかり通ってきてしまって、功の部分が隠しこまれてきてしまっていました。
そういう表象的なことではないんですよ。
交差法で言うならね、普通は格闘技で言うなら一拍子なんですよ。
それが強い。
カウンターもないならないで要らない。
来る来るって分かってて、でも来たら避けも受けも出来ずにやっぱりただ入ってしまう。
これが格闘技の強い人の一つの強さの典型ですね。
影無くく来たりて影無く去る。
これは心意拳の拳諺です。
まっすぐ入ってきてそのまま打倒してそのまま去って行ってしまうということが理想だとされています。
でね、南派拳法の王とも言える洪拳の代表的な技、思い出して下さい。無影脚ですよね。
全然共通性が高いんですよ。
無影脚は元々洪拳の技じゃないのが取り入れられた物なのですが、同時にこれは洪拳に元々影が無いから組み込めたのだと思うのです。
動画で色々とご覧になれば、洪拳というものが動きが消えていて、予備動作などが見えないことがお分かりいただけるかと思います。
洪拳を土台に再編纂された我々蔡李佛拳もまた、同じく影が無いままに、自分を勁力の鉄球に化して相手を引き潰してゆくという武術です。
影無く来たりて影無く去るのです。
で、一方で、五祖拳なのですが、面白いのが一回引いてそこから打つの二拍子を習いました。
引っ掛けて崩して打つ、という蔡李佛で言う借力的な動きです。
ですが、これも決して崩すから威力が出るとかいうことでは無くて、威力そのものは発すれば出るんですね。
ではなぜ引っ掛けるタイミングがあるかというと、これおそらくは畜しているタイミングなのです。
抖勁を用いると、威力はバカ大きいのですが、必ず一度引くタイミングが必要になってきます。
ほんの数センチ、あるいは十数センチ程度なのですけれど、身体の中で軸を下げる必要があります。
抖勁の名の通り、わずかに振るえる程度の距離を軸の運動戦として必要とします。
そのわずかな距離を動いて発した後に、元の位置に戻して畜さないといけない。再セットです。
畜勁は弓を引くがごとし、発勁は矢を放つがごとし、の、弓を引く時間が要るのです。
ほんの一瞬。
そのタイミングをただの待機時間、死角にしないために、手を引く動作中にやれる仕事を二十稼働にしているのでしょう。
相手を引いたり崩したりというのはそういういわば副業のような時間であると思えます。
以前に書いた「引く発勁」が得られていれば、発勁からさらに後ろ方向への発勁に変えて連環が可能です。
この後ろへの発勁を後座力と言ったりもするようです。
このような体用のスイッチと用法を組み合わせる方法は、中国武術ではとっくに研究されています。
抖勁のような前後の発勁動線ではなくて、上下動を活用する震脚勁の発勁でも、一度上にあげてそれから落とすという畜と発の時間とベクトルがあり、それが用法と一つになっています。
いつも言う、断片を組み合わせても不完全な物にしかならなくて、初めから全体として整合性のとれた物をくみ上げないと意味がないというのはこういうことです。