老師から教わっている五祖拳は、白鶴派五祖拳と言って、基本的に鶴拳類を総合した五祖拳の中でも特に鶴が強調された派であるようです。
いまはいくらでも海外の動画が見られますから、これらの鶴拳類を見ると、同じ福建系の白鶴拳(ラマ系とは違う)の中でもそれぞれまったく違う印象を受けるという経験をされたことがある方も多いのではないでしょうか。
体幹が明確に固定されていてまったく動かない派もあれば、縦方向に良くうねっている派もあります。
また無音のところがあれば、鳴き声が出る派もあり、小さい動きに終始している派があれば、大きく手を振る派もあり、終始歩形が変わらない派もあれば、独立したりしゃがんだりと言った派もあります。
実際に、福建白鶴門と言うと食鶴、宿鶴、鳴鶴、飛鶴とそれぞれに特色が分かれていると聴きます。
これらの流れの中から沖縄の空手は生まれてきて、そのうちで最も中国武術色が強い物は、身体を細かく痙攣させ、大仰に呼気を鳴らすという物があり、それらの存在は誇張された物としてフィクションで描かれてきました。
いや、誇張は虚構の中でだけではありませんね。
町道場や部活動などでも、訳の分からぬまま見様見真似で身体を震わせたり呼吸音を模倣したりということは普通に行われていて、それが継承されていまは実態となっていると言ってよいかと思います。
本当の意味の分からないままの、大衆化という改変ですね。
もちろん、本当に本物の中国武術をするならそれらのことは絶対にしてはなりません。
先生の真似をするのではなく、先生の教えてくれたことをするというのが絶対に必要になることです。
習練者にはそれぞれ違った段階があるので、上級者の見様見真似をしていても永遠にそこにはたどり着けない。
だから実力のことを功夫と言って重視するのです。
功夫が無いうちからあるような真似をしても中身が伴いません。
なので私も、言われたことは言われたようにやってきていて、ことさら物まね芸人のようなことはしません。
ですが最近、ちょっとルックに変化が出てきました。
中身が大切でルックを寄せるのは悪いことしかないと思うのですが、少し似て来たような気がします。
というのも、先日、老師から五祖拳での功の働かせ方を教わることが出来ました。
その通りのこれまでも持っていたけど言われなかったので使わなかった功を働かせて、教わった五祖拳独自の呼吸法(気法)を出来る限り取り入れておこうなうようにし始めたところ、全体がまったく違った物になったためです。
結果、構造が繋がり、非常に大きな力が働くようになりました。
この時、身中に勁がみなぎってわずかに身体が震えることがあり、また身体の中から「ク―」とか「コー」と言う様な「音」が勝手に出てくることがあります。
決して台詞のように「ク―」とか「コー」とか言っている訳ではありません。ましてや「カー」なんて。
それどころか、へたすると心意のように「イー」と出る。
気道と体内の気流の関係で、ある種の笛が鳴っているようです。
外見だけ模倣している人たちがやりたかったのは、こういうことなのだろうなあと得心しました。
そうするつもりはなくても、言われたようにすれば自然にそうなる。
古伝というのは面白い物です。
そして、こうなったこの拳はなんというか、とても怖い感じになります。
ことさらに威圧する意図はないのですが、異様で獣のようなヴァイブスが出てくる。
もちろん、力の働きもそれに伴走しています。
これは、中国武術らしい元神の働きと気の運用であると感じています。
この状態はとても気持ちが良いし、終わった後もさっぱりと気持ちが良い。
五臓が活性化し、デトックスもされているような感じがあります。
老師は昔、このような南派の武術を鈍重で実戦ではないと見ていた時期があるそうです。
しかし、やってみればこれは非常に内臓への作用があり、養生に良いと。
いままさに、私はその感じを理解し始めたということなのではないかと思っています。