百年前に生まれたジョーゼフ・キャンベル教授の偉大な研究における「英雄の旅」と「闇の力」と身体哲学についてこのところ書いてきています。
これらの概念はキリスト教が広まり、キリスト教社会、ひいてはキリスト教世界という物を作り上げることで人々の暮らしの中から消え去ってゆきました。
まさに闇の力は、一神教の唯一の価値である光によって追いやられていったのですね。
私はよく、キリスト教社会における身体文化の最上にある物として、バレエを引き合いに出してきています。
もちろん、バレエ自体もその身体への追求があまりに高くなってしまったがために、貴族社会では娼婦の技術、下層の芸人の術として蔑まれる部分がありました。
やはり、身体文化として高まるとそこに「闇の力」の存在を疑われてくるようです。
逆に言うなら、それだけバレエを作って来た個人が自ら闇の中に潜り込んで研究を続けてきたということでしょう。
とはいえ、彼らの価値観はあくまでキリスト教の概念の中にあり、その動作は必ず神の住まう上へ上へと指向した物です。
これはつまり、バランスとしてはまだ闇の力の要素が伴っていたカトリックのキリスト教的な感性だと言うようなきがします。
バレエで名高い国は、フランスやロシアなど、否プロテスタント国であるというのはこれと無縁ではないでしょう。
清教徒革命において古いキリスト教が持っていた闇がさらに暴かれてゆき、すべてが明文化されて資本化された視点とはおそらくはこれは違う気がします。
そのような、比較的古いキリスト教の、いわば近代以前のキリスト教文化圏における身体文化としてバレエがある一方、それにある種の対立をする形で発展した舞踊があります。
それをフリー・ダンスと言います。
あるいはコンテンポラリー・ダンスとしての名前でなら聴いたことがある人も多いのではないでしょうか。
アーティストのシーアさんのPVでは素晴らしいコンテンポラの舞が見られますし、日体大出身のアスリート女優である土屋太鳳さんや天才的な感性のある宇多田ヒカルさんも踊っている姿を見せてくれたダンスです。
これは上述した、バレエの上へ上へと向かう跳躍指向ではなく、地面に転がりまわるというような動きが非常に多い。
テーマとしては、自己の内面にある物を体で表現するということが重視されているそうで、転げまわったりもがきあがくように手足を動かしたり、ときに表情による表現を行うようです。
まさに、内面への旅、闇の力に通じる物を感じます。
これは私一人の見解ではありません。
映画「サスペリア」では、このダンスの学校が魔女のアジトとされていました。
つまり、非キリスト教的な物であるという認識があったのですね。
また、これを日本に持ち込んだ人たちは「暗黒舞踏」と言う名を付けました。
神の光の届かない部分を、隠すことも神学的昇華をすることもなく、そのままに体現するということがすなわち、闇の力であるということが認識されていたということなのでしょう。
一方で、ロシアでは相変わらず白人優位主義を隠すこともない信仰の中で、バレエ学園で育てたバレリーナたちによるハニー・トラップ作戦が遂行され続けています。
いまだに、神の支配を求めるバレリーナたちと、自己の確立と自由を求める魔女たちの相克は続いているのです。
このような時代の混沌のなかで、情報戦の幻術に惑わされずに、世界の本質を観て真実の生を生きるには、この闇の力への認識は必要度を増してゆくことだろうと日々思っています。