かんふーくらぶさんでの稽古の折、ヴァイブスを知ってほしくて拳舞をちょっとしてみせると、棍を振ってるみたいだと言われる。
棍は拳術の母。刀は拳術の父と教わってきました。
別に現在、それで戦おうということではありません。
兵器をすることで身体が練られるのです。
拙力を捨てて勁、定力で動く身体を作り、それで自分の肉体とは違うかさばる物を扱うと、負荷のかかった肉体が頑張るのでより功が深くなるのです。
もっともスポーツ的なことをしてはいけません。あくまで術で行います。
術というのは技で行おうとするほどダメになります。
あくまで功を深めてゆく。
そのために兵器を使います。
技撃を目的としている訳ではありません。
しかし、現代人はどうしても術を持って行う伝統武術と、技をやり取りする現代格技を混同しがちです。
なので兵器の軽んじています。
それでは中々功は深まらない。
これは、モダン中国武術でも同様です。
兵器が充実していない門派の人たちが良く言うのが、行き詰まるということです。
実力が上がってくるほど、そこまででは足りないというのが分かる一方で、門内には道が無いので大変苦労するようです。
よその兵器をやっても基礎システムがないので、完全にはかみあわないのでしょう。
短期的に強くなりたいと言うのならそれでよいのでしょうが、本当に武術そのものが好きになって功を積むことに価値を見出してしまったなら、どうも厳しいことになります。
単に強くなろうというままなら、それはそれで隆盛している総合格闘技を行った方が効率的です。
せっかく伝統武術に取り組んでいるのなら、備わっている門に身を置いているというのは幸福に思います。
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兵器で練る
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