倉庫から六尺棒を引っ張り出してきました。
古武術を学んでいた時に使っていた樫制のものです。
普使っている中國製の棍と比べるとだいぶ重いです。
この六尺棒、だいぶ長く毎晩振り回していたのですが、正直いっこうにうまくなりませんでした。
鋭器よりは鈍器のほうが好きなのでよく振っていたのに、どうしても、じゃあこれで刀で切りかかられたときに頼りになるか? というとそんな気がしませんでした。
六尺棒というのは、片手でお尻のほうを持ち、前手ではちょうど真ん中あたりを握ります。
つまり、前に出ているのは全体の長さの半分。三尺となります。
これは、江戸時代の刀の定寸である二尺三寸と比べてそんなに長くはありません。
ましてや、戦国期の三尺一寸などと比べるともうまるで利点が無い。
純粋に刃物と木材の戦いで、しかも特にすごく太いとかということもありません。
さらに言うと、棒に体の動きも制限されてしまうので、むしろ半分の三尺の棒を両手に持っていたほうがずっと扱いやすいと、フィリピン武術遣いでもあった私はいつも悩んでいました。
結局そのまま開眼することもなく十年以上がたったわけですが、この数年やっている中国武術の棍法を、この六尺棒でやってみようとほっくり返した次第です。
というのも、この間の表演会で、ウィンチュンの先生をしている師弟がオーストラリア産の棍を使っておりまして、それが太くて頑丈でとても良かったのです。
聞いたらそれが樫でできているようだったので、今回真似をしてみた訳です。
いざ振ってみると、これが実に気持ちのよいものでした。
以前感じていたような頼りなさがあまり感じません。
まぁ私も少しは成長したのかとか、単に以前の私が稽古不足に過ぎなかったのとかの理由もあるのでしょうが、何よりはまず練功の成果なのではないかと思いました。
内力を鍛えて体が練れているために、棒に動きを邪魔されないというのが一つあったように思います。
これは本当に中国武術のもっともすぐれた点だと思います。
たんに技を磨くのではなくて、体そのものを作り変えるために、同じ棒の一振りにしても自分自身がまるで違う。
がっしりと中身の詰まった人間として扱えるので、ゆとりがあります。
とはいえ、単にむきむきのボディビルダーのような体になるということではありません。どちらかというと、痩せてるのに妙に腕相撲の強いおじいちゃんのような、芯の強さが作られます。
もう一つ変わったのは、棒に対する感じ方です。
以前は棒を道具として考えて、それをうまく使おうとしていました。
これは日本武術にままある考え方で、刀を使うにしてもいかにその道具を使える可能性があるかをすごく追求しています。
ですので、まさかこんな遣い方があったかというような秘太刀の類がたくさんあります。
日本武術が実用を重視して行われていたというコンセプトがうかがえます。
対して、中國ではとにかく練功。
そうやって作った体がまずありきで、その体にたまたま道具がのっかっているだけ、というような遣い方をすることがあります。
我々のやり方で言うなら、棍を振るのも拳を振るのも同じ。たまたまぶつかるところが持っていた道具なのか、腕なのかの違いにすぎません。
これは、全身を鉄球として使う、という我々の概念に通じる部分でもありますね。
しばらく、この六尺棒を使って棍法を練ってみようと思います。