以前にも書いたミンダナオの現状ですが、現在でも日本ではほとんど報道がされていませんが、状況はなお沈静化されていないようです。
どうやらイスラム過激派の勢力は思ったより動員されており、占拠されている街区があり、そこの住人は彼らのゲリラ活動に使役されている、と逃亡してきた人からの報告があったという話があります。
また、空爆は続いており、マニラから撤収していた米軍が戻ってきて参戦しているとの話も聞きます。
このままではあの時にすでにドゥテルテ大統領の言った、一年以上に及ぶ全土への戒厳令が宣告される可能性も感じています。
しかし、一方で私の日本人の友人は現在中部ビサヤ地区のセブにフラッと行っており、またマニラの仲間たちもまったく普段通りに暮らしている様子です。
これは二つの理由があるのではないかと思います。
まずは、ミンダナオと言うのは600年もそういう場所だった、ということです。
もともと、スペインが入植してくる前はミンダナオ・スールー王国というイスラムの国であり、それをフィリピン人とスペイン人が手を組んで追い出したのです。
イスラムの歴史観からすると、聖地奪還思想でそこを取り戻そうとしているのかもしれません。
カトリックが大多数を占めるフィリピンにおいて、ミンダナオはいまだにイスラム勢力の強いところです。
そのために一説にはアジア最大の過激派のアジトとなっており、兵器の売買や麻薬による資金の回収が行われており、現地の出身であるドゥテルテ大統領は知事時代からこれらの勢力との戦いをしてきました。
このイスラムの都市のイニシアチブを得ることが、おそらく今回の過激派の目的なのだと思います。
彼らにとってはイスラム世界の規律を自分たちが思う形にただすというのが第一義の目的なのでしょうから。
占拠した街の人々に食料や弾薬の運搬と調達をさせているというのはそのような考え方の現れでしょう。
同じムスリム同士というそのような気持ちがあるからこそです。でなければ兵器や食料と言った生命線に触れさせることは考え難い。
これと同じことは多くのスタンの国で起きているそうです。
ただ日々を暮らしていたムスリムの人たちのところに過激派が押し寄せてきてアッラーの名のもとにそこを占拠して紛争の拠点とするそうです。
現地の人々は、戦火と過激派による恐怖支配の両方に苦しめられます。
このような宗教上の考え方や民族対立による紛争に外部の人間が介入することをして「こういうのは織田信長の時代みたいなもんだから、外から来た違う文明の奴に良いだ悪いだ言われても現地の人は困っちゃうだろうな」というコメントを聞いたことがあります。
確かに、ポリティカリティ・コレクトじゃないからそれは間違っている、というのはイスラム教徒ではない我々の見方であって、その視点を根拠として一方的に軍事介入してゆくというのはそれこそ帝国主義の定番の支配(たいてい解放という美名で称される)手法です。
フィリピンというのは、まさについこないだまで室町時代だったような歴史のある場所です。
木刀試合で名を成した、現代エスクリマの祖であるマスタル・カコイ・カニエテはこの間までご存命でしたし、また真剣で勝負をしては何人も切り捨ててきたという本気の剣豪、アントニオ・イラストリシモ師も存命でした。
酒場で後ろに立った柄の悪い奴を、振り向きざまに抜き打ちに切って捨てたという剣鬼のようなエピソードが、20世紀も半ばに行われていたのです。
このようなことは、おそらく現在でもアフリカやいくつかのイスラム国では行われていることでしょう。
私たちの今いる環境からそれは推し量れりきれると思うのは、傲慢ではないでしょうか。
そこにもう一つの理由があります。
いまでもフィリピンでは、貧困や自然災害による死が身近にあります。
そういった環境では、いつも生きているのが当たりまえ、という感覚が薄いのではないでしょうか。
そのために、すぐそばに当然にある死の存在が大きいので、海を隔てたミンダナオでの交戦と言うのは感覚として薄く感じて、セブやマニラではあまり騒いでないのかもしれません。
私たちが学んでいる伝統フィリピン武術というのは、このような前提の文化に成り立っているものです。
決して安全な国で甘やかされた高度経済社会人の護身術やミリタリー趣味として行われてきたものではありません。
もっとリアルな、人々の命の営みの中で伝えられてきたものです。
それを軽視する人には、おそらくは本当のことはわからないのではないか、と思う処があります。
本当のことが分からない、というのは、真実を追求するという武術者のスタンスからすると、本質的に「出来ていない」姿勢です。
真実と向かい合う誠意が問われているように思います。