短勁系福建南拳のグランド・マスターとして名を知らしめている五枚尼姑ですが、もともと彼女が学んだ拳法がなんであったのかが気になるところであります。
調べてみるとこれが実に問題のある線が浮かんできました。
どうも彼女が体得していたのは、梅花拳の一派だったという説をいくつかの方向から聞きました。
この梅花拳、以前も書きましたが、秘密結社系拳法の定番です。
これがイコール梅花蟷螂拳だと言い切る資料はまだ発見されていないようなのですが、客家や洪門のネットワークでこれらがつながっていたことは十分に推測の範囲にあります。
ただ、中国人は芙蓉と並んで梅の花が大好きなので、日本人が桜が好きなごとくすぐに梅を美称として持ってくるために、偶然同時発生してもおかしくないのが梅花拳という言葉の悩ましいところです。
しかし、なぜ拳法に花の名前を?
ほかには植物の名前の武術って木蘭拳くらいしかとっさに浮かびません。
さらにいうならそれも木蘭という武将の名前から取った物で直接花ではなかったはず。
武侠小説だとサボテンの名前の武術が出てきますが、これは使ってる暗器の形状に由来していたかな。兵器の形でなら植物になぞらえたものはほかにもゆり根やニンニクに由来する物がありますね。
おそらく、梅を引き合いに出したのはそれとはちょっと違う気がします。
これは、梅というのが花びらがシンボリックに五つであるというところが大切なのでしょう。
五つというのは中国の人にとってマジック・ナンバーです。なぜなら五行説といってすべての物を五種類に分類しようとするからです。
これはちょっとこじつけてきなまでになっています。
例えば我々日本人は方角を東西南北の四つで認識しますが、彼らにとっては方角は東西南北中央の五つに分類されます。
方角ごとの守護神、四神や四獣というのも、中国では本来五つです。
中央に黄龍というものが居ます。
龍をもう一匹追加して龍かぶりにしてしまってまで五つに分類したいのです。
この黄龍がマイナー化して四神が中心となってくると、今度は玄武という神様を蛇と亀の二つに分けてトータルで五つになるようにしてしまいます。
これはそもそも、蛇と亀を踏みつけた玄武神という神将が居たのですが、本体が消えてシンボルの動物二種類だけが残ったのです。
このように五種類が大好きな中国思想ですので、当然武術でもこの数字は多用されます。
五行拳や五輪馬と言ったように、五種類に動作を分類して基本にしたりします。
梅花拳や梅花刀というのも、五種類の軌道や移動の動線などと言ったことが表現されているのだと思われます。
この五行と同様の物に、二種類だと陰陽や鴛鴦(音は同じくインヤン)や両義、三種類だと三合や三盤、三才、三星、六なら六合、七も七星、八なら八卦と言った表現があります。
こうやって並べてしまうと埋もれてしまうようですが、そうではありません。五行は特別です。梅は別格。
三が多いのは道教系武術であったり七は回族武術だったりするなどの揺れがあるようですが、五だけはオールマイティに用いられているようです。
その五と梅ですが、この梅という字はメイと発音します。
そして、枚という字も発音はメイです。
つまり、五梅と五枚は同じ音なのです。
となるとこれはやはり、梅花拳を象徴する人物としてこの名が仮託されたセンが濃厚な気がしてまいります。
そして面白いのが、彼女と親交が深かったと言われて同じタイプの客家拳法のグランド・マスターであった白眉道人の名前は、パイメイと発音します。
白梅と書いても同じ発音なのです。
もっと言うと、白と同じく百もパイです。
百梅と書くことも可能です。
五梅と百梅です。
大山倍達先生は倍の達人だから倍達だ、とトボケたことがあったそうですが、五枚尼姑の二十倍でパイメイです。
白眉拳は明確な資料があるのは二十世紀以降の物のようなので、これは後発組の誇張もあるのかもしれません。
もともとは一つだった物が、分派した可能性などは十分にあり得ることだと思います。
蔡李佛拳にはその名の通りの李家拳と、梅花刀や梅花拳、そして白眉棍が含まれているので、それらが古い時代からあるのだったら客家拳法の歴史も照合できる資料たりえるとも思います。
もしかしたらすべては一度梅花拳に集約されていた物が、その後になってから別々に分類されていた可能性だってあるわけですから。