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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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自動車と功夫

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 最近、自動車の練習をさせてもらっています。

 18で免許を取ったのはよい物の、バイクばかりでまったく乗らず、20年ばかりの年季の行ったペーパードライバーです。

 ましてや生まれついての不器用者であり、ほとんどのことが人並みに出来ない物で、何度か友達の車などで練習をさせてもらっても危険さを確認するばかりでちっとも運転が出来るようになる気がしてきませんでした。

 おかげで、要普免という仕事にはまったく就けず、いくぶん不便をしてまいりました。

 最後に乗ったのはもう十年くらい前で、当時働いていた酒屋さんの配達でトラックに乗って歓楽街で運転したのですが、ごちゃごちゃした一方通行だらけの狭い道で大変難儀したものです。

 それでも出来る限りの努力はしたいと思うクチなので、今回も機会があればやりたいと申し出たところ、かつてないくらいの長時間、どうにか運転が出来ております。

 これはひとえに、功夫と気功のおかげです。

 いや、誇張ではありません。本当です。

 きちんと行えばこれらの内功はある程度汎用的に活用できるものなんです。

 なぜ私が以前はうまく運転が出来なかったのかということの理由に、自力に頼っていたから、ということがあるように思います。

 状況を自分でコントロールしていたい、という欲求が存在していました。

 もちろん、それは必ずしも可能ではありません。自分の能力には限界があります。

 そのために手が行き届かなくなるところで苦手意識が働いていたのです。

 徒歩やオートバイのように車とは一体化が出来ない。

 しかし、今回はそのような欲求がないため、不満感が湧きません。

 周囲と自然に調和するという気功のライフスタイルがそうさせないのです。

 このためにだいぶ自動車が運転しやすくなりました。

 もう一つは、自分の身体の制御の進化です。

 環境に調和したのち、内側にどう力を働かせて使うかの訓練をずっとしてきたため、ハンドル操作やペダルの踏み具合が非常にデリケートかつ安定して出来るようになりました。

 よく他流の人から「中国武術の重心はつま先か踵か」と訊かれて閉口するのですが、一体どこからこのバカげた質問は出てくるのでしょう。

 鼻緒文化の日本独特の物なのでしょうか。

 私の知っている限りでは、重心はその場ごと変わります。

 その時のミリ単位の地面との接点ごとに軸を作り直して身体の内側を通すことこそが内功です。

 我々蔡李佛拳がくるくる回る練習をするのは別に遠心力を使う訳ではありません。そうやって軸を立てる錬功をしているのです。

 台湾のある拳法の老師は、足の裏はらせん状に使うようにする、と言っていました。

 蚊取り線香のような線をイメージして、重心は常にエンジンのようにその線状を回してアイドリングさせるのだと言うのです。

 我々はアイドリングはせずに完全な静止状態を好みますが、足の裏のどこででもその時に接地しているところで軸を作るという発想は同じです。

 そのような要領で、一切重心を動かさずにペダルの操作が出来るのも、運転がしやすくなった理由として重要なことです。

 これでまた活動の可能性が広がったように思います。

 でも、事故には本当に気を付けなければ。


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