ここのところ、スタトンの段階を教伝しています。
スタスタと歩いてトンと触るだけで打つという、中国武術の一つの在り方ですね。
私は現代武道や古武術、総合格闘技やヴァーリ・トゥードなどを経てきてから、中国武術に入りました。なので、なんでもいいからとにかく戦う術として中国武術を学んできた訳ではありません。
やはり中国武術には伝統的な身体操法や中国思想がもっとも重要だと思っています。
しかし、時々戦い方について思うこともありました。
中国武術は、攻防向きではなくて暗殺向けだなどと言う話を聞いたことがあります。それはこのような構造のためでしょう。
一方で、中国武術の中でも技撃を重視した物もあります。そのような派では様々な橋法からの戦術を充実させており、大変に理解のしやすい構成に見えます。そういう門派がうらやましいなあと思うこともあります。
蔡李佛拳は革命兵士の多数戦を想定して全体が構成されていますので、初期の段階では最大限大きく広範囲にわたって攻撃が出来るように練習します。一対一でじっくり交戦するような攻防手段はその段階では学びません。
強い勁力が養えてきてから攻防の手管を養成してゆきますが、この段階でもやはり、かなり早い期間で決着を求めるような戦い方です。虎が羊をとるように体ごと食らいついてゆきます。
相手が受け止めればそのまま勁力で正面対決を挑み、良ければ遠くまで届く槌が当たります。
橋のわたり方が手だけではなくて体全体でになります。
そうして体ごとぶつかり、それで相手を打倒し、あるいは崩したりしつつ倒れるまで連撃を放ってゆきます。さばいて間合いを確保するというような攻防は選びません。
強固な相手の場合には掃腿などで倒しにかかり、さらに手堅いならそこで初めて変わって変則的な角度攻撃に入ります。
この角度攻撃が、初期に学んだ広範囲打法なのですが、それを実際に使うまでにずいぶん段階があります。
ここに、いわゆる単打系の拳法との違いがあります。
接近はしてゆくのですが、その間合いで戦うわけではないのです。
よくも悪くも勁力任せです。
平馬でちょこんと突く練習で威力は養いますが、それで戦うわけでもありません。
とにかく襲い掛かってゆく。
私はかつて形意拳を学んでいたので、近場での動きは個人的には少し似てしまいます。
このような戦い方は、蟷螂拳にも似ていると友人から教わったのですが、たしかにそうかもしれません。
しかしおそらく、鋭さよりは重さや圧力に優ったものになっているように感じます。
このような戦い方を、勁力の圧が詰まった鉄球と表現しています。
ゴロゴロと転がって相手を踏みつぶしてゆきます。
手先の攻防はしません。
技を学んでも法を知らなければ遅れをとると言います。戦い方を知ることもまた、学ぶべきことの一つなのでしょう。