この数年、インターネット上である奇妙な言葉を目にすることが多くなりました。
それは「武友」という物です。
一体誰が言い出したのでしょう。
インターネット上の国語辞典でも載ってないしウィキペディアにもない言葉です。
もしかしたら古くからある言葉なのかもしれませんが、三十年くらい前には聞いたことが無い。
使っている人たちを見るに、現代格闘技や今出来をやってる人たち、あるいは中途半端なオタクの人たちみたいなので、本格的な武術家というよりは何かマンガかゲームででも使われて流行りになった言葉かもしれない。
人名としては武友と書いてタケトモさんと読む人がいるので、中国後や古典の中にある物が発掘されたのかもしれない。
だとしても、元々の使われ方というよりは、オタクの間でのインターネット用語のような使われ方をしている例の方が目に付くように感じます。
あるいは、オタクを躍らせて懐を充たしているような先生が上手いことそういう言葉を使ってカモをその気にさせているのかもしれない。
武術の世界というのは格闘技でもオタクのたまり場でも本来は無いので、その内側の価値観というのは独特の物があります。
そういったことの本当を知る人は恐らくとても少ないのに、サブカルチャーや創作の世界で何か本来とは違う情報が広まっていがちな印象は非常に強くあります。
今回はそんな武術の世界の価値観の話を一つ。
昔、古武術をしていたとき、宗家がみんなによく古い巻物や資料を見せてくれていました。
いまはどうなのかわかりませんが、神田などに行くと明治辺りに出版された綴じ本が比較的安価で手に入った時代です。
そのような物をみんなで買ってはもちより、宗家が持っている昔から伝わっている巻物と比較したりして研究をしていました。
そんな時、宗家が何気なく自流の伝書を開いたことがありました。
とっさに私は目を閉じ、後ろを向きました。
すると師範の一人が「見ていいんだよ」と言ってくれました。
「私はまだそこまで習っていません」と念のため師範にお伝えしました。
いまはどうだか知りませんが、その頃は流儀武術に入門すると家族にでも内容を伝えてはいけないという誓約書を書かされていた時代です。
上の伝を盗み見するなどと言うのは非常に恐れ多いことでした。誓約書にあるように、約定を破ったら神罰が当たると信じきっていたわけではないのですが、タブーを犯してはいけないという思いは強くありました。
そういう私に師範は優しく「こういうのは武縁と言う物だから、いまみたいな機会があったときにどんどん自分か吸収して覚えていくもんなんだよ」と教えてくれました。
同期の若手数名、一瞬顔を見合わせたあと、一斉に伝書に食いついてゆき、各自が持っていたノートに必死で写しを取ったものでした。
このような考え方は、常に稽古場に漂っていました。
練習時間にすみの方で一人基本の技だけを延々やっていると「やる気が無い」とみなされます。
そういうことは普段の自分の稽古でするものであって、人が居るときは組稽古で切磋琢磨をする。
遠慮しているのは謙虚だとは思われず「何しに来てんだ?」と邪魔もの扱いされます。
自分で自分を育ててガツガツ食いついてゆく者は可愛がられたものです。
先輩や師範に教えてくれ教えてくれとしつこく食いついて言って何度も投げられていると「もういいよ!」「忙しいんだよ!」と怒られることもありましたが、必ず手が空いた時にうるさそうにではありましたが「いいよ! 教えるよ! ほら!」と人が居ない時に秘密のことを伝授してくれたりした物です。
老齢の宗家は、一人一人の若手のことをすべて覚えておられるわけではなかったのでしょう。手を取って教えてくださる時には「君は、どこまでやったかなあ?」と訊いてこられます。
そのようなときに、新しい技を追加されることはまずありません。
それまでに師範に習ったことまでの復習です。
なので、そこで先輩に秘密で教えてもらえているかどうかが物を言います。
教わってなければ、一年経っても二年たっても四、五本の技しか持ってない。
しかし先輩に習っていれば、師範に教わっていなくても「〇本目の裏までです」などと言えます。
すると宗家からその技まではしっかりと詰めてもらえる。
こういうのはどさくさ紛れのずるいやり方とも取れるのですが、私が古武術の世界ではこれこそがやる気の顕れでした。
昔の地方流儀を学ぶ集いです。蛮風の強い「我がちに合争いて死に急ぐ」下級武士の気風を尊ぶところがあった。
もし師範か先輩に「まっさきに死にたい者一名!」と呼ばれれば「俺だ」「俺だ!」「俺などは常に一枚下に白無垢を着ておる!」「俺ははらわたに魚など入れておらんのでいつでも死ねる!」と前に出ることを美徳としていたように思います。
車にはねられても受け身を取って無事だったので医者に行かなかった、とか二階から飛び降りて前回り受け身を取った、というような話をよく聞きました。
だからまぁ昔の先生方の前では、稽古着の紐が緩んでいたりすると一世一代の死に装束がたるんでいるのは覚悟がない、と怒られたものです。
中国武術の昔話でも、師や先人が隠れて練習しているのを見て盗んで達人になったという話がよくあります。
中には、相手を怒らせてわざと打たせて身体で覚えたなどと言う豪傑の話も聞きます。
私もまた、師父から習うときには一語一句を心に焼き付けて全体に組み合わせて行き、またそれが動きにどう反映されているかを常に見取るようにしてきました。
技の一つ一つは習えばだれでもできるのですが、その間のつなぎの部分が出来るのは私だけだと言われたのは、おそらくその部分をきちんと見て盗んだからでしょう。
もちろん、伝を受けていなければ見た目だけ盗んでも無意味です。
しかし、見て盗んだことを師父の前でやっていれば「あ、それは違う。そうじゃなくてこうやるんだ」と注意をもらえて盗んだまがい物を本物にしてくれることもあります。
ただ与えられた餌を事務的に消化しているだけではそこにはいけない。
こういう武縁を如何に掴めるかはやはり、自分の心の在り方によるように思います。
受け身でいると言うのは謙虚なのではありません。先生がやれというからしょうがない、俺様がやってやるか、というような傲慢な態度に受け取れます。
やりたいやりたいと伝え続けて、その結果師からしょうがないなあと与えられるというのが東洋武術の伝統的な形なのだという気はします。
別に私はいばりやしませんが、自分自身そうやって育ててもらったのでその伝統には逆らえない部分があります。
そう簡単には伝えないようなことでも、何かのきっかけで近くまで行った人があると「仕方ない、自力でここまで来たんだから与えるのが天の働きなのだろう」と言うような気になったしまいます。
先日も、天井が低い部屋での練習だと言うのに六尺越えの棍をなぜか稽古場に持ってきた人が居て、そうなると「持ってきちゃったんだから仕方ない」とその方のいまの段階にちょうどいい使い方をお渡ししてしまいました。
それをきっかけにいま、その方は棍法の段階にはいり、伴っている易筋功と一緒にひいひい言いながら練習しています。
そうやって自分の縁で道を開いて、自分の武術は造り上げてゆくものなのでしょう。
生徒さんを抑圧して囲い込んで長期間に渡って謝礼を受け取ろうと言う道場の方針も耳にしますが、うちでは平素言っているようにさっさと身に着けて短期間で卒業してもらうことを由としています。
それこそが自己の確立、安心立命の禅の心であると思うからです。
弱い者の心を惑わせて群れさせて、いつまでも飼い殺しにしておくなどと言うことは決してすべきではない。