近代史とホラーに関して書いてきたこのシリーズも、ひとまず最終章です。
今回は、20世紀に入ってから創始された完全に新しいジャンルのホラーの対象、エイリアンについて書きます。
20世紀に宇宙からの恐怖というと違和感を感じる人もいるかもしれません。
と、いうのも宇宙からの恐怖、コズミック・ホラーと言えば作家のHPラヴクラフトが有名であり、彼自身は19世紀末生まれではある物の、実際には20世紀を代表するホラー作家と言われてます。
宇宙には神々が居て夢を見ている、という彼の世界観に影響を与えた作家ロード・ダンセイニもまた、19世紀末に生まれて、ちょうど1901年から執筆を始めたのでまぁぎり20世紀から宇宙ホラー、宇宙幻想の物語がメジャーになっていったといっても差し支えはないでしょう。
このようにして科学技術の進歩が進んでゆき、宇宙への関心が高まって行ったのには、飛行機の成功に続いてそのまま宇宙まで飛んでゆこうという発想に繋がったためでしょう。
そこで宇宙に行ったらこんな怪物が居る、こんな冒険があるだろう、というお話が一般にも身近になってきました。
そして冷戦時代に入り、実際に宇宙を戦争のキーポイントとしてリアルに想定する時代に入りました。
映画「ドリーム」は、まさにそういう、当時まだ実績が不足していて資金不足だったNASAが、ソ連にミサイル攻撃をするための衛星を作るという物語です。そしてその空爆計画に参加することで、差別を撤回して市民として認められてゆく黒人種の女性たちのお話です。
つまり、白人種>黒人女性>ソ連人というアメリカの作ったカーストの中でのステップアップを書いたお話なのですが、人をミサイル攻撃する計画を進めることで社会的地位を築くことが出来ましたっていうのは本当にドリームなのかなあ?
この、戦争と言う物の影が常に伴う宇宙開発計画の中で、2001年宇宙の旅のように、何か罰が当たるのではないかというような恐れを描いた作品が生まれたりもしました。
実際「ドリーム」での黒人女性たちがかかわった部門は、2001年~で暴走して人間を襲うようになった、コンピュータ・システムの分野です。
そのような人間が行った行為その物への恐れとは別に、宇宙から未知の恐怖が顕れるのではないか、という物語も発生してきました。
その代表的な恐怖が、宇宙人です。
宇宙人にはいくつかのパターンがありまして、そのうちの代表的な物に「侵略SF」と言われるものがあります。
このタイプの元祖はウェルズの「宇宙戦争」にあるのでしょう。この作品は1898年にかかれているので、アイディア自体は19世紀から材している物だと言えると思います。
英国人のウェルズは平和主義者で、人権主義者でした。特に第一次大戦に非常に反対の姿勢を示していたことが記録に残っています。
その彼が描いた作品ですので、宇宙戦争の勇ましい軍事物語にはなりません。
一方的に侵略されると言うお話になります。
これはつまり、科学技術がどんどん軍事利用される中で、ある時、自分たちが知らない強大な科学力によって攻撃されたら怖いね、という視点が語られているということでしょう。
また、最終的に高い科学力を持つ侵略者が風土病によって全滅するという展開は、当時アフリカや南米、アジアに侵略しては領土を広げていた大英帝国そのものへの警告もあるのでしょう。
この、攻めている物に攻められている物の想いを訴える、というのが一つのポイントではあります。
侵略SFにおいてはその視点の転換による批判という物がえてして垣間見られます。
大戦の時代を経て、冷戦下でその恐怖がしきりに語られたのは必然だったのではないでしょうか。
強大な攻撃力を求める側は、常にやられる恐怖にさらされるのです。
「SF ボディ・スナッチャー」という有名な侵略SFがあります。
これはある街の住人が、宇宙人にそっくり成り代わられてゆくというお話です。
これが描いているのは、共産主義者によるアメリカの侵略の恐怖であると言われています。
科学的な威力ではなくて、思想による洗脳による支配の恐怖を、宇宙人になぞらえて描いているのですね。つまりは「オメガマン」におけるゾンビと同じ表現です
直接の暴力を描いた作品では「プレデター」シリーズが代表的なのではないでしょうか。
これはベトナム戦争に出撃ている正体が、最新兵器で武装した敵兵士に次々殺されてゆくのですが、その正体は宇宙からやってきたハンターだった、というお話です。
公開当時、これは主演のシュワルツェネッガーの新作だと言う部分が宣伝されていて、宇宙人が出てるSFだとは紹介されていませんでした。
冒頭で衛星軌道から何かが降ってくるのが描かれただけで、あとはアクションまっしぐらの作品で、最後に敵兵の正体が宇宙人だとわかったときには、コマンドーみたいな映画だと思っていた私はぶったまげたものでした。
途中までは、プレデターはソ連が作り出した生物兵器にもなにがしかの強化を受けた兵士にも解釈が出来るような作りであったと記憶しております。
宇宙からやってくるのは当時問題になっていた宇宙開発と軍事利用の部分が強く意識されたものです。
プレデターが、闘争のにおいを嗅ぎつけて戦闘に紛れ込んでくる狩人であること、また最後には爆発して核兵器を思わせるきのこ雲を立てることなど、加速し続けて取り返しがつかない軍拡への不安が反映されているように思います。
ちなみにシリーズが色々作られてゆく中で今一つ影の薄い二作目では、都市部の置けるギャングの闘争にプレデターが参加する模様が描かれます。
これ、つまり麻薬の普及や銃社会への恐れと言う物への取り返しのつかなさが一作目と同じ論法で語られている訳ですね。
そうなってくると、ほら、一気に現在のアメリカの姿と変わらない物が見えてくるでしょう?
ちなみに、主人公でプレデターと最後にはタイマンを張って勇者だと認められる刑事の役をやっているのは、黒人俳優のダニー・グローヴァ―です。
色々感じる物がありますでしょう?
さて、ここまで読んでこられた方は「おいおい、エイリアンはどうしたんだよ」と思われていることでしょう。
次はとうとう、そこに触れてみたいと思います。
最後まで取っておいたのは、あれが他の宇宙人映画とはまったく違う、唯一無二の作品だからです。
つづく