古本の武術ムックを一通り目を通しました。
ちょうど、心意拳と意拳がフィーチャーされていたころで、どれを見ても特集されていました。
両方とも、形意拳と同じ血族の拳法ですね。一般に、心意拳が漢化して広まった物が形意拳、そこから進化した物が意拳とされているようです。
その意拳、創始者の王向斎先生は、単に拳学と呼んでいたそうです。
記事に出ていたことに、意拳では筋をはぐくむのだ、ということがありました。
この場合の筋とは筋肉ではなく、腱や靭帯、体の中を通る仮想の線のことだそうです。
これと同じことを、私もさんざん言われてきました。「線を使え」「線を延ばす!」。私たちが言う鉄線功のことです。
この筋と、ひたすら立つことが意拳においては重要なのだと、ある先生の記事に書いてありました。
この立つことが大事だというのは、私がいつもここで書いていることです。
私が言っていることややっていることは、意拳と似ていると言われたことがあります。
また、実はやっていて中身は意拳なのではないかと疑われかけたことさえあります。
しかし違います。それはちゃんと意拳をやってる方々にも大変失礼なお話です。
では、なぜ私の学んでいるものと意拳の先生が言っていることが似ているのかと言うと、それはもしかしたら意拳の南派に影響を受けたという部分なのではないでしょうか。
そして、だとしたらそれは少林寺から伝わった物だということもできると思います。
つまり、俗に内家拳と言われる形意拳と、外家と言われる少林拳の出会いです。
また、立禅、站椿功というのがそもそもは少林の練功だと楊露全師が言っていたということも以前書きました。
この、形意拳のある種の少林拳化のような部分があるからこそ、派閥にとらわれない総合的な理合の学問だということで、王向斎先生はこれを拳学と呼んだのではないでしょうか。
と、そんな感想を持ちました。