皆さんは、今年の目標などはすでにお決めでしょうか?
私は当座、練精化気、練気化神と言う物にしています。
これは年末に、留学生さんからいただいた経典を参考にしています。
私の大師の先生が書かれた物で、大変高額な上にプレミアがついていて、平素私には中々手が届かない物です。
内容の大要は恐らく師父から習っていると思うのですが、細かい補填や各種名詞なども書かれているので、とても貴重で嬉しい贈り物です。
その本によると、人間は持てる全気(エネルギー)のうち、およそ30%をも精製に費やしているのだそうです。
精とはすなわち、性的エネルギーのことです。
残りの70%の力で他の営みを送っている訳で、精の30%を有効活用してそちらに回すことが出来れば、より疲れず活動が出来る、と考えることも可能です。
そのように、精を他の気に換えることを練精化気と言います。
練精化気、練気化神とは中国武術や気功でよく聞く言葉でありますが、我が派ではそのような意味となっております。
なので、精を気に換えるために練る練功があるのですが、では練気化神とはどういうことかと言うと、気の練功を行うことで神を養うということです。
では、神とは何か。
これは色々解釈がありますが、その幅のある印象に対して大師の師匠はずばりと明確な答えを示してくれました。
それは、神とはすなわちその人の人格、本質のことである。ということです。
これで、私が平素から言っているライフスタイルとしてのマーシャル・アーツということがここから由来している物だということが判明いたしました。
すなわち、マーシャル・アーツや気功は結局のところ行う人の人格に帰結する、ということです。
まだちょっとわからない、あいまいである、という人もいるかもしれません。
しかし、人格、本質とは何か、という問いに対しても明確な答えが提示されていました。
人格、本質とは「認識能力のことである」とされています。
これはすごい。
確かにその通りのように思います。
外の物、すなわち外気を取り入れることで人は作られる。
その、外の物をどのような物と感じて取り入れるかは認識能力です。
第一期の生徒さん方が着た頃、気とは何か? ということに対して「感じるということだと今は考えてください」と答えていました。
気という物質はありません。気功とは自分が感じている物に意識を向けるということだとお伝えしていました。
これはすなわち、認識能力の開発ということですね。
そしてその感じかたという物が、すなわちその人の人間性そのものだと言い切ってくれたことは、大変に画期的なことだと思われます。
以前から私が問題視していることは、すべてそこに集約されることだとも言えるのではないでしょうか。
結局のところ、生き方や心がよろしくなくて苦しいと言う状況に対して、自分の心を変容させて生き方を変えて行くというところにライフスタイルとしてのマーシャル・アーツの徳があります。
これが「自分の人格のこととかどうでもいいんだよ。とっとと技だけよこせ」という人は決して正しい功を得られません。
私が今出来や創作武術、ねつ造流派を否定するのはそのためです。
彼らは技だけに関心を持っていて、人格のこと、すなわち神に関心がない。
精を練って気とし、気を練って神とするのが正統な中国武術の在り方なので、その中核が無い物はそもそもの意味をなさないことになります。
となると、これはどうしても自分の人格と向き合う行となってゆくことにならざるをえません。
次回はそのことについて書きましょう。