精の運用を変える練功法をしてから、全体に勁が良くなりました。
勁は気に属するので、練精化気の言葉の通りです。
精髄、とう言葉がありますが、これは辞書で引くと物事の本質とか深奥、奥義という意味だそうです。
精を気に換える練功は精を随に導くので、精髄とはまさにこのことだったかと言う感じです。
さらに、精髄と同じ意味の言葉として神髄があるとも辞書に書いてありました。
真髄と書いてしまいがちですが、本来は神髄のようです。
ここで、精と言う字が神に置き換えられていますが、これまさに練精化気、練気化神ではありませんか。
精が髄を通って気になったのを経て神になったのです。
三丹田の理論で言うと、精は命門、性器と腎臓に繋がって下丹田に属し、気は中丹田、壇中すなわち心臓に宿り、神、つまり心は脳のある状丹田にあるとします。
この三つを、脊髄がつないでいると考えられています。
まさに、髄を通って精(性のエネルギー)が神(心)になる様そのものではないですか。
なお、うちでは練精化気、練気化神とワンバウンドした表現で言うのですが、派によっては練精化神とノーバンで成語としていることもあるそうです。
いずれにせよ、内容は同じ事のようです。精を力にし、力を心にする。
この心の発展が古来から中国武術の目的として求められ続けてきたのです。
その思想が、このように言葉として残っている。
この積み上げられてきた歴史の流れの上に我々が居ます。
仏教があり、タオがあり、禅となって少林拳の思想になっています。
これを学ばざるして拳を学ぶとは言えない。
私はそう思います。
自分の心、生き方を練ってこそ初めて、少林正宗を受け継いでいるのだと名乗ることが出来るという物でしょう。
伝統武術を名乗る以上、このことはアジア人の英知として決して見失うべきではない。