こちらに来てかつて城塞都市だった旧市街と呼ばれる地域を歩いていたら、偶然ラーンナ民族博物館というところに行きあたりました。
これはかつてこの地域にラーンナ王朝という国を拓いていた時の文化を展示してある場所のようでした。
私が学んでいる、タイの小乗仏教の身体文化や仏教医学にも通じる物があるかもしれないと思って入ってみたら、思っていたより驚かされました。
まず最初は、布製の曼陀羅のような物の端に書かれた双刀を持った人物の絵です。
これは現地の武士なのか、それとも神仙や仏様の類なのかわかりませんが、この双刀術は現地の武術、フォンジューンの物であると思われます。
グリップを肘に届くほど長くとった握り方が特徴的です。
タイの人々と言うのは、タイ・チベット語族に属していて、チベットの方から小乗仏教と共に南進した部族だったのですがいまの四川省辺りに大理国という国を作っていた物の、中原の勢力に滅ぼされて西側に逃走して現在のタイ王国の礎を築いたという話があります。
その中の一国がラーンナ朝です。
私がいま学んでいる、少林の流れにつながる小乗仏教の学問も、チベットからタイに渡って分布したものでることが類推されます。
なので、歴史的な資料を見れば当然、我々の武術や内功につながる価値観の物が出てくるということでしょう。
もう一つ驚いたのは、これは当時の価値観を現代美術で表現したものなのかなあ?
すりガラスで描かれた仏様の絵の向こうに、金属製の五臓が吊るされているという展示物がありました。
これ、チネイザンという師公が編纂した気功の発想です。
これは我々の気功と同じく、五臓に五行に相当した感情が伴っているというもので、臓器に宿った感情のアンバランスを整えることで精神の向上を図ると言うメソッドです。
いま私が学んでいるタイ式の気功の考え方でも、中国の物と同じく身体にいくつかの経絡が流れているとしていて、一本ごとに内臓に対応しているとされています。
日本ではほとんど語られることがありませんが、少林武術の原点をたどるとやはりこの小乗仏教の文化にたどり着きます。
文化というのは常に宗教や哲学と共に伝播するものなので当然のことなのですが、このことが日本で語られて、空手やムエタイなどのルーツや文化的思考に触れられることはまずありません。
しかし、ライフスタイルとしてのマーシャル・アーツを唱える身としてはこれを離れては本質が喪失します。
カンフーのより深い本質と詳細を研鑽して引き渡してゆくためには、ここまでの土台をしっかりと踏みしめていくことが良いように思えます。
人々の心身に宿った痛みを癒し、よりよい生き方を目指すことが出来る運動法、それが本来のカンフーの在り方だと習ってきました。
いまいちどその価値観を取り戻したいと思ってこの地に訪れました。
いまのところ、順調に学問が重ねられています。ありがたい。