いつも音楽を聴いているので、メモリープレーヤーの中には古今の楽曲を詰め込んでいます。
ベニー・グッドマン・オーケストラが流れたと思ったら、次にはELLA MAYが掛かったりする。
先日は、不意にルイス・フォンシの楽曲、DESPACITOが掛かったのですが、これがイントロが終われば日本語カヴァーの方でした。
https://www.youtube.com/watch?v=IHN02dPSn4M
一つの曲が何度も入ってたり、いろんなアーティストのヴァージョンで入ってたりもします。
この、TEEさんによる日本語カヴァー、ちょっとあまりいい評価は耳にしていないのですけど、私は嫌いではなくて。
特に今回、日本語の詩を聴いているととても興味深い印象を受けました。
というのも、去年末から気功の課目の内、精を運用する房中術に力を入れていることがあったために、この曲の歌詞に非常に共通性を感じたのです。
愛する人との性交を一つのアドヴェンチャーとみなし、いろいろな探求をしてゆくという内容は、精の運用によって体内の気を強くしてゆくという発想に通じます。
どう通じるかといいますと、古典的な気功の解釈では、そうやって気を強くしていった後に、人間は肉体が滅びても気だけが残って、幽霊のような状態で生きるとしているのです。
私自身はそれが現実的な話だとはいまひとつ思ってはいないのですが、神秘の世界への入り口として性を捉える視点は非常に面白いものだと思いました。