私が居たタイの町は、以前にも書いたように世界中の身体研究家が集まってくるという不思議なところでした。
そのほとんどは療術家で、仕事として成り立たせながらもさらなるものを求めて異国に学びに来ては、いくつもの治療法を学んでゆくという非常にやる気のある人たちでした。
そのような各国の腕利きたちと較べては、私など素人以下どころか何者でもあり得ない。
そんな中で、唯一手持ちの物としてあったのが師父からいただいた気功でした。
人体の知識もなければ解剖の経験もなく、施術も下手な私の、他の人が持ってない手札がそれです。
妊娠していてマッサージが受けられない先生の凝りを緩和させるということから、気功法の指導をしたり、また、ある時は不意に呼ばれて日本語で気功学の理論を日本人の生徒さんたちに説明するということがありました。
先生方、日本語も勉強していて英語は話せるのですが、それでも日本人に気功の理論を伝えるのは手間だったようです。
そんな訳でちょっと重宝されててお手伝いなどをいくつかしたりもしていたのですが、そうしているうちにいくらかあいつは気功をやるという話が広まっていたようでした。
帰る前の夜、先生方との飲食の会に参加した時、一人の先生からギリシャ人の男性を紹介されました。
全身刺青だらけでごっつい巨体、ひげもじゃのヘルズ・エンジェルズ風の男性でした。
聞けば彼は格闘技と施術についての研究をしている人で、何年か前まではブラジルで柔術の修行をしていたとのことでした。
気功に大変関心があるそうで「お前は気功が出来ると聞いたが、体内で気が回せるのか?」などいろいろな質問をされました。
彼自身、カンフーをやってそのような部分を学びたかったのだそうなのですが、当時ヨーロッパでは本物のカンフーのマスターを見つけるのは非常に困難だったと言っていました。
「ウィンチュンだったら居るんだけれども……」と言ったので「あれはセルフ・ディフェンスだから」と言うと大きく頷いていました。
彼が望んでいるような、性エネルギーの循環、大周天、生き方の哲学を学ぶための道としての功夫は、求めても中々手が届かなかったのだと言います。
私がいくつかの初歩を伝えると、非常に喜んでくれて「なんで明日帰るんだ」と惜しんでくれました。
とはいえ、本物を探して世界を旅し続ける彼のような人のこと、いつか必ず素晴らしいマスターに出会えることでしょう。
現代は、このように自分が本当に望んだことはかなえられる世の中になっています。
自分の求める真実を探して、世界を旅する真摯な人たちが沢山居る。
自己流やねつ造、創作などでちまちまとやっているのとは別の生き方です。
すでにその道を歩んで世界を旅している以上、実質彼のタオの修行は始まっているのではないかと思います。
正しく道を求める人は、すでにその道を歩んでいるという、タオの考え方です。