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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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師父の宿題

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 気内臓のモニタリングを無事終えて、思ったことがあります。

 本日、自分が思っていた以上の結果に出会えたのはどうしてでしょう。

 かつて柔をしていたころに活法を習ったりはしていましたが、私は基本的に施術は素人です。

 幾度かそちらの方面に向かいかけたこともありましたが、結局は玄人にはなりませんでした。

 その私が、気功の点穴や施術をして上手く行ったのは、きっとこれまで積み重ねてきた気功の力のおかげなのではないでしょうか。

 法輪気功、周天気功、それに環精補脳法などをして開いてきた奇経の脈たちの功に加えて、直接的に気内臓そのものでもある六字訣で培ってきた物が、よく作用したのではないかと思いました。

 それらのうちの気功は、とどのつまり徳と言う処に行き着きます。

 これは一般に日本でいうのとは少し違って、タオの流れに則った気の働きと同調した在り方のような意味です。

 そういった物があったからこそ、大きな意味での気功として、施術の形で行ったことが上手く働いたんのではないかという感じがするのです。

 そういった、存在の在り方のような物を思うと、私が師父になるときに私の師父が出してくれた課題のことを思い出しました。

「これからの人生で、師父という物がなんなのか、よく考えて答えを出してください」

 これは一生かけて見つける答えなので、これまでそこに囚われてはこなかったのですけれども、いま自分が行っていることを考えた時に、師父とはこのようなことをする人間のことなのではあるまいかという思いがしました。

 それというのも、私自身がどうしようもなかった時に、その生命を救いあげて治してくれたのが私の師父だったからです。

 それだけでもまさに、私にとっての師父と言うのはそのような存在だと言うことが出来ます。

 もちろんそれだけでは不足があって、伝統的な正統性や、学問の見識、身体的能力などが必要になるのでしょうが、それらを備えたうえでどのような存在で居る物なのかというと、やはり人の命と寄り添い、それをその命があるようにいられるよう力を貸す人間だと言う気がするのです。

 ようやく私も、こういうところに来たと言う気がします。

 これからもより、私の引き継いできた力を必要としている命に、それを差し伸べる生き方をしてゆきたいと思います。

 気内臓療法(チネイザン)のモニタリングも、しばらく続けてゆく予定です。

 ご希望のかた、ぜひご連絡下さい。


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