先日の稽古の後で、生徒さんに話したことがあります。
「いまはお金が欲しいのです」
そのためには売れたいのです。
というのは、またフィリピンに居るグランド・マスタルのところに行って、謝礼を支払う資金とするためです。
そこで次の修行を受ければ、今度は私もグランド・マスタルになるとのことでした。
それが私の当面の目的なのです。
グランド・マスタルになれば私も公式なマスタルの資格が発行できます。訓練を積んだ生徒さんたちに報いることが出来る。
そしてそれは、私個人と言う物の修行の一段落であると意識しています。
そこから先は、教授に専念する。
そうして熱心な人々に真実を求める手段と道を手渡せば、世界の各地にそれらの人々を送り出すことが出来ます。
インドからタイ、中国を横断してフィリピンまで伝わったこの武術の流れに対する見識を手渡して、それらのポイントを繋ぐ各地の武術の師の場所に導ける。
生徒さんからは、私がまだもう一つくらいの武術は体得できるのではないかとの声が出ましたが、私もそろそろな年齢。正直、これ以上の資金があったとしても、体力や年月、キャパシティは無限ではありません。
それに、もしもう一つだけ、どれでも好きなことが学べるとしたら、そのチャンスは武術にまわそうとは思っていないのです。
もしそれが可能なら、私はタイのタオ・ガーデンに行って、謝明徳大師に師事したい。
しかし、世界でも最大規模の勢力と資金で知られる気功の楽園に入り、そこで学んでそこの師となるのは、尋常ではない好機と資本に恵まれなければ不可能でしょう。
謝大師も、いまや世界中を回っていて、本部にはあまり居ないのだと言います。
しかしそれでも、私の希望はそこにあり、武術にあるわけではありません。
学んだ武術は真実に至るための物であり、人類の歴史と文化の実態を学ぶための物であって、個々の流派には執着しない。
その意味で、私はまるで武術家ではない。武術家失格なのです。
名前はなんでもいい、ただ真実が人の手に届くことを望みま
そのための旅が、ここまでの道でした。
人には持てる力と時間に限りがあります。
私がここまでに支払った物で贖った物を、より多くの誠実な人々により短い時間でまくことで、より多くの人に真実が届くことを願います。