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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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信頼できる

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 ホリエモンさんがね、寿司なんて何年も修行する必要はなくて専門学校で一年か二年勉強すればだれでもつくれるようになるってことを言ったことがあって、物議をかもしだしましたよね。

 あの時、伝統武術サイドの人間の中でも自分たちの身に置き換えて反応した人たちが私の周りにも何人もいました。

 確かに、伝統をおろそかにしてしまうという意味では伝統武術の世界の人間が眉を顰めるのは当然です。

 伝統の重さと意義をよく知っているのですから。

 しかし、そこで色々な角度で見る習性のある私、一概にホリエモン発言が悪いとは思えませんでした。

 というのも、理不尽に若者を囲い込んで安い値段で下働きに使った挙句「技術は自分で盗め」みたいな無責任なことを言ってかつ別にのれん分けをさせるのは家族にだけと言ったような大手のすし店があったりするのではないか、と思いたるからです。

 そのように、「一身の安全を図り、妻子を安泰ならしめている(司馬遷)」だけの既得権益の持ち主が他人の人生をほしいままにむさぼるだけの部分も現実にはあるのではなかろうかと思ったのです。

 40、50になっても若い人として部屋住みで使いつぶされる人生だって珍しくはないでしょう。

 前科があったり借金があったりして行き場のない人の世話を見る形でのそれなら良いのですが、将来有望であった人間を食いつぶすような形だとしたら遺憾です。

 それだったら、対価を支払って専門学校で勉強が出来た方が世のため人のためなのではないでしょうか。

 立場変わって、既得権益をむさぼる大手の寿司店の家に生まれた子供というのもこの話の中では存在しえますね。

 司馬遷の引用に出てきた妻子の子の人たちです。

 彼らは生まれた時から何の苦労もなくただ自分の家で暮らしているだけでそのまま稼業を継いでやってけてしまう訳でしょう?

 それはいいのですが、物を学ぶということに当たって、それだけで何かを分かったような気になって一人前面をしてやっていってしまうことは本当に大丈夫なのでしょうか?

 もちろん、人間形成で言うと最低でしょう。学校と自分のおうちしか世の中を知らない人間になってしまいます。

 それだったら、そういう人こそまさに一度専門学校に行った方がいいのではないでしょうか。

 本当はね、他所の老舗に入社して五年、十年を家畜扱いで修行してこそまともな人間になったり仕事が分かったりするのではないかという気もするのですが、やはりそれも人生勉強が高くつきます。なら専門学校で世間を知るのは本人のためでしょう。

 もしそうでないのだとしたら、他の人より早く家で学んだりできる分の時間を、基礎の学問に費やせば良い。

 遠洋漁業についていって一年くらいマグロを追いかけて過ごす時期があってもいいでしょう。

 二年、三年、農家になってお米を作ってみてもいい。

 そのお米を醸造させてお酢を作る修行をしてもいいでしょうし、蔵元に入って醤油職人の修行を積んでもよいでしょう。

 また、海苔の養殖が出来るようになってもいいでしょうし、刀鍛冶に弟子入りして包丁という物を原子の段階から学んでも良いでしょう。

 世襲の二代目、三代目がそういうことをしてるのかどうかは知りません。

 お父さんの傍にいて教えてもらってるだけで大人になったような顔してるのならそれは問題でしょう。

 いくら高い金とって時価の寿司売ってたって、せがれをそんな何年も他の仕事で遊ばしてられる余裕なんかないよ、ということは当然あるでしょう。

 そうなると、そういう基礎の勉強を可能にするのが、専門学校なんですよ。

 団体単位の資本がある学校組織なら、田んぼを買うことも可能でしょう。

 刀鍛冶の工房と提携も不可能ではない。

 海苔やお酢を作る部署を子会社として運営しておいて、そこで生徒を学ばせたり、あるいは就職の受け入れ先にしてしばらく学ばせたりすることも可能です。

 そういう経験をして基礎をしっかり学べる専門学校だったら、どうです?

 ホリエモン発言、全然悪いヴィジョンに繋がっているとは限らない。

 技術を売って対価を得ている人間とは、そのくらいで在って欲しいと思う部分が私にはあります。

 少なくとも自分自身が専門としていることには、私はある程度のことはしているつもりです。

 ただカンフーの師父として認められたところで終わりではなく、その歴史や伝播の現実を学ぶために世界を旅して、身体で吸収しています。

 功夫の源流を学ぶために、直接の源流でる気功のみならず、泰族の身体操法や文化も学ぶ。

 古代から伝わるキャリステニクスも実践して自分の身体で確認します。

 中国武術の門派の中だけで完結して終わりではなくて、その基礎教養や地力に必要な物をおろそかにはしません。

 功夫の継承者というからには、少なくともムエタイやエスクリマのレベルの実力は無くてはならないというのは、歴史上の経緯から私が常々言っていることです。

 いつもお世話になっている整体名人を信頼しているのもまた、彼がとっくに鍼灸学校を卒業して資格を取っているにも関わらず、それでは納得がいかないと自ら整体を学び続けて人間の身体を探求しているからです。

 その結果として、ようやく鍼を打てるという手ごたえを得てからでないと鍼灸医はやらないと言っています。

 そうやって、自分で自分に何年もの下積みをさせて、自分を信頼できるまでにたたき上げられる人間が、いまの世の中どれだけいることでしょうか。

 誰もが安易なやりかたで上っ面を粉飾してごまかして取り繕って、さも一人前風を吹かしたがる。

 なんでもかんでもタダで踏み倒されると思っていて、自分の言動に一文たりとも責任が伴うとは思ったおらず、やりっぱなしの逃げっぱなし。

 そういう人間は信頼できないというのは、私だけでは無いのではないでしょうか。

 私に資本力があって、そのニーズがあったとして、武術学校を開くとしたら、やはり科目をきっちり設定すると思います。

 ムエタイは絶対にしっかりやらないといけません。元々蔡李佛には泰拳が含まれていますので、その地力は必須です。

 格闘技能力なしでカンフーやってる気分になりたいなんていう甘えは通用させません。

 アルニスも同じです。

 あれもカンフーから出来ているにも関わらず、あのレベルでの兵器の操作が出来ていない中国武術家が出来ていないとしたらそれはありえない。

 基礎があった上での高級技法。そこをすっとばしたいなんていう甘ったれは学ぶ資格がない。

 キャリステニクスもやるべきでしょう。基本的な体力の形成を通して自分の身体と向き合う行為をしないと、何も出来るようにはならない。

 それが出来ない人間は、結局中国武術を伝えても基礎をやらないから物になりえない。

 気功にはたくさんの時間を費やして学ぶべきです。

 中国武術は気功から出来ているので、そこに理解がなくては何も学んでないに等しい。

 思想はもっとも大事かもしれません。

 頭が悪い人間には中国武術は出来ない。

 こう書いてゆくと厳しいように聞こえるかもしれませんが、逆です。

 本来これらのことを、きちんと学べるだけのカリキュラムが怪しいところなのが、明文化されてギッチリ学べるのだから、懇切丁寧この上ない。

 そう思えない人が居るとしたら、やはりどうにかごまかそうという考えがどこかにあるのでしょう。

 少なくとも私は、自分にとって学び足りないと思っているところは自腹で足を運んで一つ一つ学んできましたよ。


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