歴史上、ローマ時代の後にボクシングの記録が残っているのは13世紀だと言います。
この時代の修道士が護身術として行っていたと言うのです。
一般には、当時の護身の術としては剣や短剣を用いるのが普通だったらしいので、徒手の護身術は普及していなかったというのがボクシングが廃れた理由らしいのですが、刃物で人を傷つけることを疎んだ聖職者が徒手の格技を護身術とするというのは面白いところです。
ロビン・フッドの物語に出てくるタック神父がクォーター・スタッフという杖術の使い手であったというお話もここに共通する物が感じられます。
徒手の拳法に棒術となると、これはちょっと少林僧とも似通ってくるので、もしかしたらそのイメージがのちの時代に流入されたのかもしれません。
ただ、この棒とボクシングという組み合わせは後々の時代も実際に行われたスタイルとなってゆきます。
十六世紀くらいから、剣を持ち歩いて生活するというスタイルが廃れて行って、紳士はステッキなどを持つようになりました。
この中には、刃物を仕込んだおなじみの物から、重りをあしらって鈍器として活用できるものまで、護身用の装備となるものが現れます。
それと合わせて、徒手の護身術が見直されるようになってくるのです。
決定的となったのは、18世紀のイギリスの武術家、ジェームス・フィグの存在です。
彼は剣術と、それを応用する形で派生したステッキ術、そしてレスリングの訓練を積んでおり、それらを交えた「ボクシング」のジムをロンドンに開きます。
これは蹴りも投げも用いた物で、それを活用した試合も行っていたため、彼と彼の弟子は髪を掴まれないように頭を剃り上げていたことが知られています。
このようにして注目を集めたロンドンでのボクシングでしたが、結局は試合中に死者が出たためにルールの見直しが行われることになります。
そこで作られたルールが、当時のチャンピオンであったジャック・ブロートンが提唱した「ブロートン・コード」と言う物です。
これには、腰より下に組み付いてはならない、というレスリング行為に関する規定や、ダウンした相手を攻撃してはならないという決まり、またダウンして30カウントを取られたら負けということが明記されているとのことなので、逆に言えばそれまでのルールはダウン・カウントも取らなければ倒した相手を殴り続けてもよいという、バーリ・トゥード的な物であったことが分かります。
それでも死者が頻出したため、19世紀にはさらにルールが追加されて蹴りと頭突き、目玉をえぐることが禁止されます。
驚くべきことに、これまでは目玉をえぐっても良かった。
さらに言うと、頭突きも蹴りもあり。
これは今日のボクシングの概念とはまったく違う、極めてプリミティブな格技が行われていたことの証拠となります。
このルール、高名な「ロンドン・プライズ・ルール」が用いられたのは1838年だと言います。
19世紀です。つまり、いまから180年程度しか離れていない。
それまでは、いま我々が見ている「2つの拳で殴り合うのボクシング」という物は存在していなかったのです。
つづく