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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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選択肢ではない・1

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 昨日、ネット上での記事を読んで大変に関心を持ちました。

 それを書いたのは自分でも「意識高い系」と書いている高学歴の方で、働き方という物に興味を持って活動をしており、世界を回ってフィールドワークをされていたかただそうなんですね。

 その方の偉いのは、フツー世界を見たらなんかわかったような気になってしまってそれを日本にもあてはめようとしてしまいがちなんですが、そうではなくて「あれ? 自分はでも日本の実態全然知らないな」という新しい疑問を見つけられたことです。

 そこで、地方の農家に泊まり込んで働くと言う実地調査を始めたそうなのですが、そこでその方が見たのは「労働して金銭で対価を得る」という当たり前だと思っていたことさえ成立していない農家の環境だったそうなんです。

 ブラック企業とか奴隷労働とかいうことではなくて、数字で明確化されていないけれど対等でお互いに納得のいった労働関係というものがそこにあったそうなんですね。

 そして人の質と言う物にも驚かされたそうです。

 自分がしているような専門の研究を説明するのは難しいかな、と思って、何しに来たのかと言うことを「キャリアの研究」と噛み砕いて農家の方々に伝えたそうなのですが、それに対して「キャリアってなに?」という反応だったんだそうなんです。

 それは、言葉を知らないということではなくて、そもそもキャリアという概念で成立していない労働環境であったということで(確かに、キャリアが長い60代以上の社長、会長層の年齢よりも未経験でも体力のある若い物の方が求められることもあるのでしょう)、とにかくもう自分が考えていた労働に関する世界観が全く通じない。

 そこでこの人は再び気付くのです。

 自分は何も知らないくせに、世界を動かそうとしたり人の仕事に口を出そうとしたりしていたと。

 この人はちゃんと一つ一つてにをはを踏んで自分の命でこういうことを学んでゆく非常に賢明な方ですね。

 しかし、気づくまでの自信を振り返ってみれば、生まれた時から受験対策の人生が始まっていて、本人曰く「早慶東大を目指す以外の価値観が無い」人たちの中で学生生活を送り、そちらに入れば今度はキャリア・アップが人生の中心になる。

 そのキャリアに関する研究の過程でここに至ったということなのですが、そのようにしてまったく何も知らない人間であった自分のことを、この人は「物を考えられない人間」だというニュアンスで捉えていました。

 そして、そのようになってしまった原因が、常に人が出してくれた選択肢の中で人生を送ってきたからだと分析していました。

 確かに、もう早慶東大を目指す物だとして人生が始まっていてそのコース以外の物がない状態だと決まっているのですから、あとは如何にそこへのルートを通るかという「選択肢」の問題と受け取れます。

 そして、その「選択肢」というのは常に他人が出します。

 AとB、どちらの講師の講義を受ける? こっちのゼミとこっちのゼミだったら? 留学先はどこの国? 就職先は?

 すべて、既存の受け入れ先への移動です。

 すでに誰かがやっている活動の中に、自分が入ってゆくことでしかない。

 これは、あらかじめ人が作った概念の中での仮住まいの連続のようになってしまうのではないでしょうか。

 自分で本当に物を考えるという要素がほとんど無い。

 これはこの方だけのお話ではありません。

 この社会における、いわゆる「中流幻想」の中で生まれて育ってきたほとんどの人が同じなのではないでしょうか。

 先日、伝説のクライマーと言う人がラジオで話しているのを聴きました。

 この方は元々クライミングをしていたのですが、進行性の視覚障害が発覚して、いまでは全盲のクライマーとして知られている方なのですが、目が見えなくなってゆく過程でお医者さんに「それで、ぼくはこれから何が出来るんですか? どうすればいいですか?」と質問をしたそうなんです。

 選択肢を求めたんですね。

 するとそのお医者様がすごく立派な方で「それは間違っていますよ」とおっしゃったんだそうなんです。

「何が出来るのかの中で生きて行くのではなくて、あなたがどうしたいかなのです。あなたがやりたいことに合わせて、そのために必要なことを周りや社会から見つけて活用して生きて行くのです」と言うことを言われたんだそうなんですね。

 それでこの方は、そうか、自分のやりたいことがまず主体なんだな、と言うことに気付かれて、好きだったクライミングを続ける生き方をされていて、いまではレジェンドとなっているとのことなのです。

 よく、指示待ち人間という言葉が使われますが、私たちの社会は選択肢待ち人間を大量に作りがちではないでしょうか。

 なにが選べるの? と、人生を他人が区切った考えの中から受動的に選んで生きようとしてしまう。

 まるで何かを許可されるのを常に待っている子供のようです。

 これはつまり、小児性が取れず、自己の確率がしがたい社会だと言うことなのでしょう。

 社会が先にあって命と言う物はあるのではありません。

 まず命があって、それが求める生き方があって、そのための社会のはずですね?

 無意識に管理社会のような物を求めて、その中で少しづつ何かをかすめとったりだまし取ったりしながら、安全を保障してもらって生きていきたい、そのような人生観は育まれてはいないでしょうか?

 私は今回ここで書いたお二人の生き方から、大変勉強をさせていただきました。


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