暑さが少し落ち着きましたか。
私のようなフィジカル・ワーカーからすると命を案じることしか考えられない気候の日々ですが、夏が過ぎて行くのはさみしくも感じます。
このところ、偶然外国の子供たちを扱った番組を目にする機会が重なりました。
日本の環境が決して幸せとは言い切れない物とは言え、世界に目を転じれば毎日違う服を着て、三食食べられて病気になれば病院に行けるというこの暮らしは、戦後の復興政策の良い面の賜物であり、非常に恵まれた物に間違いありません。
にも関わらず、日本人の幸福感は世界でも大変低く、自殺率は異常な高さであり、普通に生きているだけで精神が病んでゆくという有様です。
精神が病んでゆくというとやや穏当な言い方ですが、要は生きてるだけで狂って行くという社会です。
衣食住足りた状態で、一体何がそうさせるのかというなら、それは人の心であると言うべきでしょう。
互いに足を引っ張りあい、合食い合っては妬み、驕る人間の悪心が、物理的には恵まれた世の中を死に至るまでの物にしている。
考えてみれば、人間と言うのはせいぜい40年か50年、健康な状態で生きていられればそれだけで幸せになれるはずであるでしょうに。
すべての問題は人間同士の心からくると言う、アドラー博士の見解を具現化したような世の中がここにあります。
人間関係や居心地のよさを職場に求めるなんて甘いという考え方が日本社会では一般的だったかもしれませんが、いえ、文明社会においては人の心こそがすべての問題の根源となるというのはすでにお釈迦様の時代から言われていることです。
その中で生き抜くために、人々は如何にして憂さを晴らしているでしょうか?
もちろん、ストレス解消をしなければ心のすり減る世の中を生きて行くことはできません。
しかし、その自分のストレスの解消は誰か他人を必要としてはいないでしょうか?
だとしたら、そこにまた、次の悪心のサイクルへの一歩が内在しては?
最近、アメリカではインセルという人たちが話題になっています。
これは、モテないというコンプレックスから世の中を憎むようになった人達のことです。
彼らは持てないがために美容整形を繰り返したり、モテる人たちへの憎悪を口にしたり、果ては行動に移したりしていることが問題視されています。
確かに、他人と較べて自分の容貌が恵まれていないというのは辛いことです。
しかし、実際には彼らの中には醜くない人も、ハンサムだと言われる人さえ存在します。
実態とは関係なく、心がどう捉えるかということが鍵であるように思われます。やはり、心です。
相対的な優越性や劣等性ではなく、そこに伴うコンプレックスが問題であるということです。
その囚われた心こそが彼らを苦しめています。
これは一部の特別な人たちに限った他人事ではありません。
日本社会は昔から世間の目やらご近所の存在やらで成り立つバランス感覚の社会に囚われた社会です。
戦後の復興の頃から、他人の家より一品おかずの種類が多いとか、魚のランクが高いとかそういうことを拠り所にしてきた精神性において極めて貧相な社会です。
現代でもこの性質はとても強いように思います。
俺はこの情報を知っているとか、自分は誰々と知り合いだとか、そういうとても貧しいことで優越性コンプレックスを満たそうという気風が満ち溢れています。
そのようなことはすべて、他者が存在しなければ無意味なことです。
その悪心が、自分を貧しく不幸にし、他人の足も引っ張ります。
そういった貧しい精神性の結果が、世界でももっとも暮らしづらい社会を形成しているのではないでしょうか。
他人をまったく必要としない歓びという物に満たされている人が、非常に少ないように思います。
相対的な喜びは結局コンプレックスを土台とする。
そうではなくて、ただ純粋に一人で満たされることがあれば、人はその心を澄ますことがしやすくなるのではないでしょうか。
森に入って絵を書くのでも良いし、ひたすらフルートの練習をするのでも良いし、ただただ木を登ったりするのも良いでしょうし、気に入った石を眺めるといったことでも良いでしょう。
他人に理解を求める必要のない喜びこそが、本当の自分の幸せなのではないでしょうか。
お釈迦様は、悟りを開こうとしている頃に、苦行などは意味がないと辞めてしまいましたが、それは宗派によっては「自分は苦行に耐えたのだ、という意識が悪心を生むからだ」とすることもあるそうです。
それは非常に禅的な考えです。
自分の中で良いとする物を大切にするのではなく、自分は耐えた、他人はそうではない、だから自分の方が優れている、という相対的な考え方の上になりたつ心は、自分を不幸せにする悪心であると言って良いのでしょう。
他人の心と言うものさえ切り離すことが出来れば、日本というのは本当に暮らしやすい国のはずです。
悪心を断ち、自己を確立できれば、日々健康で幸せに生きられますでしょうに。
必要な物がこれだけ満ちている。
あとは不必要な物を捨てれば良い。