倭寇の襲来による危機を乗り切るために、倭寇武術を研究し、少林武術と日本武術をすり合わせて現代に残る中国武術のひな型を一つ作ったのが、戚継光将軍です。
彼は外敵を打ち破った戚家軍の武術を、高名な「武備誌」という本に残しましたが、その中の拳法編においては我々現代中国武術家のみならず格技や武術好きにとっても見るべき意見が記されています。
戚将軍は、中国武術の拳術においては「兵器を使うための基礎を作り身体作りを学ぶことが拳術の練兵における価値である」と書いています。
のちの時代の新しい中国武術のように防身術や腕試しのために造形された物ではないということです。
ここが拳術のスタート地点であると言ってよいかと思われます。
この視点をすっ飛ばしてしまうと、護身術や格闘技と混同してしまうことになります。
そして、中国武術においては練功法こそが大切な中身であるという私が常々書いていることも、必然ここに帰結します。
技や勝敗は本質的な意味の目的ではない。
昨今、MMAと試合をした先生がいましたが、あんなもん勝っても偉くもなんともない。
もし本当に中国武術の真価を見せるために試合をするなら、一回戦は徒手とし、二回戦は刀、
三回戦は棍、四回戦は槍、五回戦に治療術、六回戦に哲学の問答などとすべきでした。
野球選手が陸上選手とかけっこをして実力の真価を計る、というようなことはまるで無意味です。
このように、総合力のための土台として拳術を学ぶということに繋がる意見として、戚将軍は勢について語っています。
勢とは拳術では主に、姿勢を意味する使われ方をすることが多い言葉です。式、招式などと言うこともあります。
なので、日本で言う固定化された技の名前のようなニュアンスで○○勢と言うような使い方をします。
騎虎勢と言ったら虎の上に乗ったような姿勢、狸伏勢と言えば狸(猫のことだそうです)が伏せるような姿勢、敗勢と言えば敗れたように見せかけて下がる姿勢です。
面白いのはここからです。
将軍は、勢を練ってその中に働く力を理解したら、姿勢にはもう囚われなくてよろしいと言います。
このことを、把勢と言うのだと記述しています。
私もいつも稽古の時に言っていますが「形に囚われないで。中身を理解して」ということです。
そうすることで、本当にその武術を理解できたことになるし、その武術が出来るようになったと言えることになるのだと思っています。
これはまた、用勁の明(明らかであって見える状態)から暗(中身はあるが形式には見えない状態)への転化をも内包しているように思います。
うちでは明勁、短勁の段階をすっ飛ばして暗、長勁の体得を最初から行うため、この部分の理解をしないと中々進まない。
そこですべて言葉と身体で中身を公開して理解を促すのですが、そこは現代社会の日本、どうしても「いまの時の指の向きはどっちですか?」とか「やる前に喉を鳴らしたのは何回鳴らせばいいのですか?」というような外形にこだわる人が沢山います。喉を鳴らしたのはただむせたからだよ。
だから形に囚われないでと言うのに、形式ばかりを追いかける人はたぶん、そこを抜けるまで本当には目が開くことはないのでしょう。
そして、そこを抜けたところを把勢と呼んでいる訳ですが、これは非常に重要な言葉です。
というのも、武林の古い言葉では、人に武術を教えられるレベルになった人のことを把式と呼ぶのです。
戚将軍の書とすり合わせるなら、これは形式と順番を教えられる人ではなく、式の中身を得た人と解釈出来ましょう。
もう一つ面白いことがあります。
日本の中国武術のパイオニアであるM先生は、これぞ中国武術の核心だとして心意拳にたどり着いたのですが、心意というのは一つ一つの形式の名前を○○把と表します。
普通は○○勢のところが○○把です。
熊形単把や、虎形双把などと言います。
つまりは勢の意味を把として使っているのですが、これに疑問を持ったM先生が師になぜなのか訊いたところ、そういうことを気にするな! と怒られたと言うのです。
心意拳、または心意把とは、少林拳の中身の部分だと言われています。
イスラム武術では、いくつかの武術を学んで勢を得た後、最後に心意を学んでその中身を入れるのだと言う話さえあります。
同様に、少林武術においてはいくつかの拳術を得て、最後に心意把を練功法として行うと言います。
これはまさに、勢から把勢に至る階梯を表しているということではないでしょうか。
何十年前のM先生の疑問の答えは、明の時代の文書にあったようです。