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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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アーサー・フレック

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 ネット上で身体のことについてなど調べていると、ときに非常に興味深い記事に出くわすことがあります。

 このあいだ目にして膝を打ったのは、発達障害の人が生きやすくするための方法について書かれていたものでした。

 その記事は、書いた人本人が発達障害持ちで、一流の大学を出ていまは県庁で働いているということでした。

 ここに、私が常々言っている、発達障害だからと言って頭が悪いということはなく、社会生活がおくれないということでもないということが、当事者から書かれていたので非常に感銘を受けたのです。

 もっともダメなのは、二次障害で人格障害や情緒障害になってしまうことだと書いてきましたが、この人はいかにそのようにならずに淡々と社会業務をこなし、自分が暮らしやすいように勉強してスキルアップをしたかのコツを書いていました。

 実にクレバーに、自分の得意と不得意を分析し、社会的状況下における目標を設定してそこにいたるための手段を工夫していました。

 多くの発達障碍者は衝動的な行動に出てしまって計画性が薄いのに対して、実に計画的です。

 これなのです。

 才能に恵まれなかったら、蓄積をしてゆくしかないのです。 

 生まれつき何かが出来る人をねたんでねじれてゆく暇はありません。

 私自身も、ひどく手先が不器用でやりたい仕事についたり趣味を楽しもうとしたりしても致命的に出来なかったので挫折したのですが、だからといって訓練を積むことで手指の運動神経が発達しないというわけではありません。

 相変わらず器用には動かなくてそれは人生において非常に沢山の物を掴むことが出来なくてとても悲しいのですが、それでも懸垂の訓練をするたびに指は強くなっています。

 指そのものが太くなるというだけではなくて、指をきちんと操作してしっかりと何かを握るという運動神経が発達しています。

 華麗なテクニックは出来ませんが、触れた物にフィットして力の伝達をコントロールすると言う発達はしているのです。

 このように、思った方向に直接進化はしなくても、別のところでは成長しているということは必ずある。

 目標をきちんと設定していれば、自分の成長の癖を計算してベクトルを調節することは出来るのです。

 上に書いた記事の方は、おそらくは自由競争主義の現場ではしんどいと思ったから公務員を目指したのでしょう。

 そしてそのためには勉強をする必要があるから勉強のしかたそのものを工夫するところから始めたのだと思われます。

 彼のテクニックの中には、短期記憶を長期記憶に変える方法などがあったのですが、これは発達障害の顕れとしてすぐにうっかりと物を忘れていまうという癖を持っていたため、その短期記憶の弱さを補うために編み出した物なのでしょう。

 こういった実直な努力が出来るかどうかなのではないでしょうか。

 それもせずに、ひねくれて人格障害をこじらせているような人は私は相手にしません。

 私の友人や恋人だった発達障害持ちの人達の中には、やはり一流の大学を出ている子もいましたし、外国語が流ちょうなのもいました。

 しかし、一流の大学を出る学力があっても実社会で生きることに大変苦労していたり、あるいは外国語が得意だったのに別の外国語を覚えたとたんに前のをきれいさっぱり忘れてしまったりしていました。

 惜しい!

 とても惜しいことです。

 能力が全体に平均して低い訳ではないのです。

 きわめて高い能力がありながら、別の所に穴が開いているだけです。

 そして、穴のない完璧な人間は居ない。

 誰もが自分の欠点を見つめてそれを長所で補って生きてゆくと言う点では同じなのです。

 だから私は、ともに成長してきた彼らのことをいまも気にかけ、彼らのような人々の生き方について常に関心を持ち続けています。

 幼馴染の者は適応障害と診断されたのだそうですが「適応しない場所変えりゃいいだけだから」と言っていました。

 その自己の環境への順応力は、必ず彼の強さとして色々な面で役立っていることでしょう。

 

 件の記事へのコメントには、沢山の発達障碍者だと言う人達からの感謝や感想が書かれていたのですが、その内の一人は「笑うな。はしゃぐな。それを気をつけるだけでもだいぶ人生がかわる。俺もそうだった」と書いていました。

 これもまた、当事者の視点からの大きなアドヴァイスであるように思います。

 知性や能力の高い発達障碍者の人が引っかかる大きなポイントが、人前で笑ったときであるように思うことは多々あります。

 単純に、周囲の環境を読むのが苦手だと言う理由で静粛な場所で場違いな大笑いをしてしまって人目を引くこともあれば、思いやりを持つことが苦手なためにひどい目にあった人や傷ついた人を見て喜んで大笑いしてしまい、全面的に人格的信頼を失うこともあります。

 後者の場合は、それを快だと感じて繰り返しているうちに、人格障害まっしぐらの危険な道なのではないでしょうか。

 はしゃぐなというアドヴァイスも同様。自分一人だけが面白くて聞いた他人にはなんのシェアも出来ないようなことを他人に消費させてしまったり、またそのようなふるまいをしてしまうのは、単純に「こいつバカだな」と思われるだけではなくて即ハラスメントなどにつながることではないでしょうか。

 発達が障碍していなくても、本質的に人間の出来なさ、愚かしさにつながる部分であるように思います。

 このようなことに対して自覚的になり、常に一度自分を振り返る自浄作用を持つことは、あらゆる人間にとって必要なことなのではないでしょうか。


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