オンライン・レッスンでの動画の制作と編集、受講生の方々とのやり取りに忙しく日々を過ごしています。
何分、こういう機械が苦手な物で不慣れなもので……。
そうして作っている動画な物ですから、例のオンライン演武会としてユーチューブで公開している物もあります。
こちらの動画もその一つです。
https://www.youtube.com/watch?v=6TbkVNKW0oc&t=40s
こちらの動画を見た外国の生徒さんから面白い質問がありました。
私の手が、どうして気血が集まって変色しているのか、という物です。
実際に練習しているご自身がおそらくそうならないから、何が違うのだろうという疑問があったのだろうと思うのですが、これは一言で言うなら、功の違いです。
中国武術は技ではなくて功だと言います。
この考え方は、現代武道や古流武術のある日本人にはちょっと捉えるのに苦労が要る物です。
西洋スポーツ的な格技だったら、フィジカルなパワーが重視されるのは誰もが理解しやすいことだと思います。
昔から日本人はそのような肉体的に優れた西洋社会を仮想敵視し、技で対応することを重視してきました。
小さい者が大きな者を技で倒す。それが武だという信仰がとても強い。
そのような日本武術が古典としている中国の武術が、やはり同様の物であろうと考えてしまうことがおそらく多々あるのでしょうが、それは大いなる思い込みです。
中国武術のフィジカル面における要求とは、肉体改造に他ならないからです。
私の昔の先生は、国交が回復したばかりの時代に中国に行って武術を学んできたのですが、その時にすさまじい肉体改造をした武術家たちを見てきたそうです。
ある人は指先で突く練功をずっとしてきたがために親指を除く四指の長さが均一の状態で成長が止まってしまっていたと言います。
また、ある人は掌で物を打ちすぎて指がその形で固まってしまって開閉が出来なくなっていたと言います。
そのような本質的な肉体改造があるからこそ、共産党は伝統武術を封建的で野蛮な物だと否定して、その伝統を弾圧して断ち切り、うわべの形だけを華麗に演技する表演武術を捏造したのでしょう。
武術の根本が死んでしまっている。
その動作の本来の意味は、いやというほど改造された肉体が行って初めて発揮される。
弾圧が開けたいまでも、中国の武術家は電柱や壁にガンガン頭突きをして頭を鍛えたりします。
そんなことをして大丈夫なのかと訊くと、えてして「肉を食べれば大丈夫だ」と言う答えが返ってくると言います。
これを私たちは中国人の謎と呼んでいます。
投げ技の練習をするときでも、石畳の上に思い切りぶん投げる。
柔道式に受け身をとると「胴体が隙だらけだ!」と怒られる。
要は石にぶっつけられても大丈夫な体にならないと練習の意味がないということです。
受け身などと言う小手先の技に頼っていては強くならないということに受け取れます。
……どう考えても納得が出来ない。
でも、彼らは大けがもせず、障害もなく生きているのです。たいがいは。
まぁ、そのくらいに中国ではとにかく肉体改造です。
そのようなことをしないから高級なのだと思われている太極拳でも、陳家の子息たちは子供のころから死ぬほどしばかれて何度も家出したりしていたそうです。
あの人たち、石造りの重量挙げもしていますし、肉体的にどれだけ改造を求められたかが想像に難くない。
太極拳はきつい体づくりをしないなどと言うのは後世に入ってからの大嘘で、それこそ共産党と共存するために作り上げたイメージでしょう。
代わりに気功をするのだろう、という誤解もその時に作られたものでしょう。
気功こそまさに肉体の鍛錬に他ならない。
いわゆる武気功というやつです。
私の手もまた、それによって手の髄が洗われ、気血の通りが良くなったから、勁を用いると変色し、肥大するのです。
多くの武術家が同様のことを言います。
回族武術の先生は雑誌で記者に自分の手を出して肥大していることを見せていました。
いわく、骨髄が改造されているからそうるのであり、それは健康に有用なのだということだそうです。
髄は血液を作り出す場所なのでそのような考えがあるのかもしれません。
私は蔡李佛を始めたころ、とにかく手を振ると痛くて仕方がありませんでした。
これはおそらく、気血の巡りに滞りがあるところを、無理やり開いて改造をしているからです。
蔡李佛は痛いし疲れると評判が高いですが、それは明確に効果が出るメソッドが確立されているからです。
とはいえもちろん、個々人の体質は反映すると思われます。
私も周りに自分ほどこの効果が出ている人は見ていません。
生徒さんの中でもっともこの効果が出ている人は、一時すさまじく手が肥大していました。
もしかしたら手の神経が発達している人ほど効果が出やすいのかもしれません。
先日、この生徒さんは動画の練功をしたところ、両手に同時に激痛が走ってうずくまってしまったそうです。
うんうん。良い効果が出ています。
痛いですが、体に悪い痛さではなく、健康につながるものらしいので、やりすぎないようにやっていってください。
それだけ両手に同時に気血が通るというのは素晴らしい功です。
そう。
これは功なのです。
技ではない。
どれだけ見た目を真似しようとしても同じことは起きません。
ベンチプレスが200キロ上がる人のフォームを完璧に真似しても、同じ重量が上がるわけではないのと同じです。
日々の時間を、正しい要求に乗っ取って体を使って過ごすということを、長期に渡って続けるからこその結果です。
若い人の功夫は老人には叶わないというのはこういうことです。
グラブをつけて殴りあうという意味ではありません。
改造の積み重ねが、より大きな変化をもたらしている、ということです。
知識や技をインスタントに求めるのではなく、功夫の伝統の中で日々を過ごしていれば、歳を重ねるほどに自分がよりよくなることを感じられます。