最近、医療従事者差別や中国人差別ということを耳にするようになりました。
本当に、心の弱い物はその低劣さに限りがない。
世の中に確かで強固なものなどまずはない、という当たり前のことを、初めから知らずに生きている。
そうやって迷妄で身の回りを固めているので、現実を目の当たりにするとその弱い心がたやすく不安に崩されて、それを他人にぶつけることで安心に変えられるのではないかといういかにも卑しい信仰にすがりつく。
自分という物がないから、そのような迷妄を信奉することになるのでしょう。
世の中に確かな物がないということを受け止めた時、人は確かな自分を求め始めるのではないでしょうか。
世界がこのような状態になってから、私は忙しく過ごしています。
体力を消耗させないように肉体労働の時間を少なくして、オンライン・レッスンの動画を作ったり、それらを生徒さんに送ったり、生徒さんからのメールを検分してアドバイスを送ったりしています。
これがなかなか忙しい。
個別対応なので、手が抜けません。
そして、そのようにして初学の皆さんにとって重要な物を一つづつ自分でも反復し、再咀嚼していた結果、私自身の功も気づけばまた一段階進んだような気もします。
一つ例を挙げると、拳套を打った時の気持ちよさがさらに増しました。
拳術自体が気功なので、やる人間の功に比例してその気持ちよさは上がるのは道理です。
この気持ちよさは中国武術独特の物で、ほかの物では感じられたことがありません。
そして、終わった後は美味しい物を食べた後のような満足さんがあります。
それに最近、体温の上昇が加わりました。
運動したからというよりも、ずっと温かくなります。
ゆっくりした運動でも、着ている物を減らさないとならないくらいに温まります。
おそらくは気血の巡りが良くなっていることかと思われます。
このようになると、暮らしの中での幸福感がまた増します。
師父になろうとしたのも、それが理由の一つでした。
とにかく、人生において常に幸福感が得られるようになります。
おそらくは脳内の分泌物のためでしょう。
もともとが仏教の行なので、そのような効果があるのです。
そのようにして、自分で自分を充足させることが出来るから、現実の不安に向かい合うことが出来るのかもしれません。
幸福感は自分を確立させるための大きな手助けとなります。
ただ肉体的な幸福感だけでなく、哲学的な智が無ければそれは間違った道となることと思われます。
幸福感に溺れてはいけないということですね。
肉体的な喜びと、知的な要素が合わさって一つです。
確かな論や理というものに立脚していなければ、幸福感もただのまやかしで終わってしまう。
まやかしの幸福感と言えば、LSDという物がありますね。
あれは禅で得られる幸福感が得られるものだという話があります。
意識を開放し、悟りの法悦に至れるとヒッピーたちには言われていました。
もちろん、上に書いたように、哲理なく幸福感だけでは悟りには至れません。
逆を返せば幸福感だけではLSDと変わらないということです。
このLSDについて書かれたと言われる有名な曲が、ビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」です。
曲タイトルを略すとLSDになっている、というのが有名な話ですが、実はこのタイトルにはさらに深い意味が見いだせることに気づきました。
スカイ、を漢字にすると「空」ですね。物事は因果によって成立しており、それを除けば本来は空虚であるという教えです。
そして、ダイヤモンド。
これを漢字では金剛石、あるいは単に金剛と言います。
これも仏教用語で、お釈迦様の智慧が限りなく透き通っていて、世界で最も強いということを表した言葉です。
真理とともにルーシーは空に在る。というのがこの曲タイトルの意味だと取れます。
我々のしている少林拳、少林気功というのは、ルーシーさんの状態につながる行だというお話です。
https://www.youtube.com/watch?v=eIJKmoq09c0&t=6s