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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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無駄な攻撃性

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 また、前の「鬱クレーマー」の記事に繋がっているようなことを書きます。

 日本でも「新しい生活様式」と称してニュー・ノーマルの動きが可視化してきましたね。

 ちょうどいま、ニュース・アナリストの人が言っているのですが、ちょっと日本の民情がやっぱり恐れや不安に支配されて弱っていると。

 武漢のことなんて見たくない、知りたくないと言う人が多いというのですね。

 ですが、実際にいま「新しい生活様式」の内容やロックダウンと補償など、いま日本で話題になることはすでに、中国では2月の段階でもう決定づけられていることが多いというのです。

 つまり、具体的に問題を解決するなら問題を直視して参考にすべきことは参考にした方が被害が少ないはず。

 しかし、そのように問題をまっすぐに見ることが出来ないのが、日本の残念なところだなあと私は思う、とその先生は言っています。

 これ、私が書いている日本社会っぽい話です。

 でも、こういう大衆的なことがあるのは日本だけではありません。

 大衆の上に成り立っている、ポピュリズムを代表する人物と言えるトランプさんは、いま状況の責任は中国にあるという方向に論を持ってゆく働きかけをしています。

 対策ではなく責任問題にゆく。

 困っている人を助けるのではなく、誰か悪者を用意しようとする。

 いかにも大衆の好きそうな行動です。

 自分で自分の責任を持つことが出来ないから、すぐに他人に自分の支払いをさせようと必死になる。

 自分の伝票を他人の手元に滑り込ませようとする。

 理屈は後からでっち上げます。

 とにかく支払いを他人に押し付けるのがもう習性化してるからまずはそちらが先にありきです。

 乞食と変わらん。

 トランプさんは今年の大統領選での影響を考えての計算で大衆操作として行っているのでしょうが、我々はすでに第二次湾岸戦争を知っています。

 イラクが大量破壊兵器が所持しているという理由から当時のブッシュ・アメリカが進行した戦争です。

 背景には、311のテロにはイラクがかかわっているという扇動もありました。

 しかし、その2つの動機の裏付けとなるなんらの証拠も見つからないままになっています。

 つまり、ポピュリズム的な政治理由からとにかく戦争を起こすために戦争をした、という見方が強くされている案件です。

 おそらくは多くの人が、どうしても今回のトランプ発言とこの戦争を印象付けて受け止めていることでしょう。

 またその少しだけ裏には、過失であろうがなんだろうが少しでも中国のせいに出来さえすればそこからお金が引っ張ってこれるので、コロナ過での経済の補填に当てられるという浅はかな欲があるのは見え見えです。

 ほら。簡単なところに伝票を押し付けようとしている。

 これが私から問題として語っているところです。

 とにかく人間の浅ましさとして、自分の人生の問題を他人が悪いことにしたがる。

 それをしている限り、何一つ自己の確立は出来ませんよ、自分で自分の人生を自由に生きることはできませんよ。ということをもう6年以上にもわたって訴え続けてきているのに、まったく話が通じない。

 コメントの公開をしてないのですが、色々な書き込みが来ます。

 またこういうことを書くと、中国人の肩を持つのか、というような物が来かねませんし、あるいは何をどうよんだのか「そうですよね。だから〇〇人は最低ですよね」というようなことを書いてくる人が現れるかもしれません。

 そういう、文章を読んで自分の身につまされるということがまったく出来ない人というのが世の中には沢山いるのです。

 これは、最近話題になっているマスクの張り紙の問題とそっくりです。

 店頭に「マスクありません」と張り紙をしていると「マスクあるんですか!」と問い合わせをしてくる人が沢山いるのだそうです。

 ありません、という文字が読めなくて、マスクという自分が必死になっちゃってるところだけしか読めない。

 そこでもうより短くして「マスク無し」と書いても、なお同じ突撃をしてくる人は絶えないのだそうです。

 つまり、初めから結論ありきで、「マスク」という文字にしか反応していない。

 でまぁ、それはね、人格の問題じゃなくてただ必死になっちゃってるだけかもしれない、見当識が弱いだけの気の毒なヒトかもしれないから悪くいっちゃいけないと、そういう思いはある訳です。

 特に老人だとどうしても見当識が老化で落ちますからね。誰でも。

 けど、そこから、その弱さが人間性に及んでいて、他者への攻撃って言う一番安易な手段に行ってしまっているんだったらもうそれは明確に「悪」だと思うのですよ。

 その悪は可哀そうだと思うけど自己責任だと思うのですね。

 うちのページに「〇〇ってこんなヤツですよ」というご注進コメントを書いてくる人も、「ぼく○○ってこういうことだと思います」って書いてくる人も含めて、みんな、自分の人生での不満やそこからくる弱さを自分で解決できずに、他人に伝票を回してるだけだと思うんですね。

 ただ言い方が「おい!」って言って無理に押し付けてるか「いんすか? いんすか? ざっすざっすあざっすざーーーーっす」って一見低頭しながら一方的に去っていくのかの違いだけで、結局自分で払ってないのんですよ。

 そういう人のために私はやってないんですね。

 前から書いているように、すでに自分で自分の人生を頑張って善くしようとしている人のために力になろうとしてやっている訳で、このごっつぁあん型の人達って真逆だと思うんですよ。

 でもってそういう人たちのごっつぁん精神が、結局蔓延していろんな問題を起こして、小さいところでは各地での罵倒や暴行問題になってるんだと思うんですね。

 ラジオを聴いているとオンタイムで感じられるのですけれども、初めは「手洗いをしましょうね」っていう局側からのアナウンスが一時間に一回くらい入っていたんですけれども、それが「おじいちゃんおばあちゃんたち、トイレットペーパーはありますからね、買い占めしないでも大丈夫ですからね」っていう子供をなだめるような物になった時期があって、いまでは「不確かな情報に不安にならず、差別や偏見に基づいた行動をしないようにしてください」ってのが流れてるんですね。

 どれだけこの国の民心が弱く、問題そのものであるかっていうことだと思いますよ。

 前にも書いたように、精神病予備軍と既発者で出来ているよなこの社会が、その実態を露呈しているように思えます。

 でもってね、それをこうして書いているだけで止まったら、私の人生はそこまでなんですよ。それも。

 そこからが無いと私の思っている活動主旨と合致しない。

 そういうね、不安に弱くて見当識が低く、安易な他者攻撃や人へのすり寄りに至ってしまうっていうのはね、伝統の考えからすると、これは精神が薄弱なんです。

 精神薄弱って言っても、現代医学での定義とは違うと思われます。

 精っていうのは生命活動の根底を支える力。神というのは感覚器官やそれらを総合しての見当識、認識能力を作る力のことです。

 それらが弱って希薄な状態になっているから、精神が薄っぺらな状態になってしまう。

 これはね、現代医学ならセロトニン(快楽ホルモン)を投与したりして臓器の能力を補うという方向から対症すると思うんですね。

 で、我々のスタンスからは、ツボや経絡の働きという窓口から、やはり臓器の働きを補ってこれを改善しようとするんですね。

 そこ。

 社会現象から問題を観て、解析して解決方法まで考えて先に進もうとするから私たちは活動をしてるって言えるんだと思うんです。

 床屋政談や傷の舐めあいをしたいんじゃないんですね。

 世の中に蔓延する精神薄弱な大衆による無駄な攻撃性の横行に対して、出来うる限りのアプローチをしてゆきたい。

 一人一人、自分の人生を自分で良くしてゆくことが出来ます。

 同じコメントでも、自己愛だけで書く人もいれば、私のことを気遣って色々なアドバイスをくれる人も居ます。

 自分もここからさらに力を得たいとオンライン・レッスンを希望して一層の向上の道を進もうという方も居ます。

 すべては人の質です。

 多くの人がその質を向上させて、よりよい人生に向かえるための力になるためにこうしてね、細々ながら確実に意義を感じてやっております。 

 


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