いまね、私が好きな話し手さんがね、ラジオで師匠と話していましてね。
この人を私が最初に知ったのは、もうほんとに彼がいまの活動をし始めたばかりのことでして。
その頃、この話し手さんは十代からやってきた伝統芸能の世界を抜けたか抜けかけてたかでね。
タレントさんになり初めのころで。
私自身の自我もまだ生まれ始めたばかりのころでしたから、まぁ私の人生にすごく影響を与えてくれた人みたいに思っています。
それからもう、十年、二十年くらいですかね、そのタレントさんの話から、昔居た世界への気持ちとかね、不義理をして袂を分かってしまった師匠への想いとかをね、時々聴いてきて。
そのうち自分も伝統の世界の人間になって、どんどんそういう話が染みてくるようになりました。
それからこのタレントさんが、近年師匠との交流が戻ってね。
いま、二人がラジオで話してたのだけど、何度も確かめるみたいに「師匠」「弟子」って言葉を繰り返していて。
こういう時だからこそ、それぞれに大切な物を噛みしめてるみたいで、すごく胸に響いてね。
私がいま、こうして幸せに生きていられるのは間違いなく師匠のおかげなんですよ。
不安におびえることもなく、このいまの世界で生きていられる。
これは、伝統の学問の道を歩んでこれたからです。
ホントに、もうどうしようもない人生を這いずり回っていて、酒漬けで暴力の世界に居た私をそこから抜け出られるようにしてくれた。
いまの、酒もたばこもギャンブルも興味がない私を観たら、あるいは昔のことは想像もつかないと言ってくれる人さえいるかもしれない。
そのくらいに変われました。
こういうね、師匠と弟子という物を描いたお話に私が惹きつけられるのはだから当然かもしれません。
最近「陳月弓張月」の時にもお世話になった作家の平岩弓枝さんの「西遊記」もまた、そういうお話です。
これから、ちょっとそういう話をしていきたいと思います。
つづく