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世界の変化について 2・This is America

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 さて、前の記事ではニュー・ノーマルという言葉について触れました。

 ではニュー・ノーマルとは何でしょうか。

 ネットで検索したところ、まっさきに昨日付けの記事が出てきました。

 https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/2005/30/news018

.html

 ごらんいただけるとわかるのですが、すでにニュー・ノーマルに入った態で話が進んでいます。

 これ、前の記事で取り上げた曲の男声パートと女声パートに繋がる物が見て取れます。

 世の中はすでに、ニュー・ノーマルにもう入ったよ、として生きている人と、そこにまったく意識が及んでいない人に分化しているのです。

 では改めて、このニュー・ノーマルとは何かといいますと、検索の二つ目にあったこの記事が答えてくれそうです。

 https://news.livedoor.com/article/detail/18332663/

 これは、この言葉の提唱者であるモハメド・エラリアンさんという方のインタビューです。

 ウィキペディアから、この方自身の言葉を引用してみましょう。

 

エラリアンは、「この言葉を使うのは、この危機が肉を傷つけただけの傷だという思い込みを超えた議論をするためでした、... この危機は骨まで断ったのです。これは途方もない規模で数年に及ぶ期間に、ノーマル(常態)として起こったことの避けられない帰結なのです。」と述べた。

 

 再び初めの記事から引用しますと、つまりニュー・ノーマルとは「脱グローバナイゼーション」ということです。

 グローバナイゼーションこそが、これまでここで世界の歴史について描いてきた経緯を一言で表す言葉です。

 つまり、プロテスタントの発生と、それが選択した資本主義という人類の在り方、そこに繋がるフランス革命による民主主義の台頭、およびそれらの申し子と言うべきアメリカという国の世界的成長こそが、グローバナイゼーションです。

 グローバナイゼーションなどというがアメリカナイゼーションだ、ということを何度か書いてきました。

 確かに、世界中がアメリカ型民主主義と資本主義に至ればもう歴史は終わってあとは永遠に統一された世界での営みが続くだろう、というのが冷戦時にフランシス・フクヤマの提唱した「歴史の終わり」という考え方です。

 ですが、この偉大な思想が軽視していた「小規模な紛争」というのが全体の屋台骨を揺るがす時代が実際には訪れました。

 テロの時代です。

 テロ、麻薬戦争という全体から見れば小さな局地的暴動や市外における犯罪に過ぎないと思われていたものが、世界的に多大な影響を持っているのが現代です。

 この状況を予測していたのが「ニュー・ノーマル」の賛同者たちです。

 フランスのマクロン大統領は以下のように語っています。再びウィキペディアより引用。

 

「(コロナの流行は)資本主義を作り変える力がある」と指摘。企業の倒産などにより社会インフラが崩壊し、日常の衛生観念も変えなければならず、コロナ前と同じ暮らしはできないニューノーマルが当たり前になる。パラダイムシフトが必要な時代になったとされる

 

 これはどうも「平和学」という思想に由来することらしいのですが、そもそも資本主義、民主主義がキリスト教から生まれたように、この平和学もキリスト教の思想です。

 資本主義、民主主義とは何か、ということを一言でいうなら「白人優位主義だ」という人があります。

 なぜなら、本質的にピラミッド型の吸い上げ構造になっており、その上位者が下の物を支配しないとなりたたないからです。

 そして、ピラミッドというのはどうしても下部が大きくなりますので、それまでは軽視されていた弱小なマイノリティの力に過ぎないと思われていた暴動や犯罪組織の活動が予想以上に大きくなってきたのです。

 そもそも、搾取の構造、奪い合いというのはすり減ってゆくので、耐用性が弱い。

 構造上、消耗してゆく機関なのです。

 では、次のピース・コントロールはどうするか、ということをこの平和学では考え続けてきました。

 これは大切なことです。

 民主主義は、フランス革命に起因するように民衆の反逆が根底にあります。

 アメリカの独立もその精神によって起こりました。

 国というのは政治組織のためではなく、民衆のためにあるので、気に入らなければ反逆を起こして壊してしまってよいのです。

 アメリカ人が銃規制に反対する理由がこれです。

 公的な軍ではなく民兵組織を自主的に営み、いざ国が不穏であれば反乱を起こすということに備えているのです。

 国家だけが武装を出来て民衆が出来ないとなれば、それもままならない。

 ここに「体制は民衆の代表である」という本質的な姿勢が見られます。

 一方、このために去年もフランスではイエロー・ジャケットによる大暴動が起きてパリに日が放たれました。

 現在でもアメリカでは、警官による黒人男性暴行殺害によって大暴動が起きています。

 その写真をご覧ください。

 画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、屋外

 

 

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、群衆、屋外

 すごいことになっていますね。

 それをご確認いただいたうえで、観ていただきたいのがこちらの写真です。

 

 これ、あまりにもよく出来すぎていてコラージュなんじゃないかなあって思ってしまったりもするのですが、右側に注目してください。

 暴動が起き、レジを叩き壊して略奪をしようとしているアフリカ系アメリカ人男性たちをよそに、どさくさに紛れてレゴを持ち去ろうとしているなよっとした白人男性の姿が見られます。

 いや、これやっぱりコラなんじゃないの?

 だとしてもこれは、非常によくできた風刺画です。

 つまり、民主主義とはこういうことだ、ということなのです。

 人権を侵害されて反逆を起こす怒れる群衆と、そのどさくさでレゴをかすめ取る白人種。

 世界的な仕組みが一枚の画像に非常によく顕れています。

 これを、99・9問題と言います。

 これはつまり、資本主義下における富がすでに0・1パーセントの人の元に集まってしまい、残りの99・9パーセントは貧困層にあるということがアメリカでは起きているのです。

 このことはもう、ヤング・ホームレス問題などとして、90年代から問われてきました。

 これだけ時間が経つとすでに浸透していて、フロリダのディズニー・ワールドなどではホームレスをしながら働いているキャストも多いと言います。

 これ、富の再分配という政府の仕事がうまくいっているとは言い難い。

 原因は、資本主義の耐用年数が過ぎたから、と見ることができます。つまり、煮詰まってしまったのですね。

 下からの吸い上げという構造が、だいぶ極まってしまった。

 こうなると、もう暴動と略奪と犯罪が起き続けることになってしまいます。

 ピースがコントロールできていない。

 そこで、ニュー・ノーマルが必要とされる時代となっているのです。

 最後にもう一度、ウィキからの引用です。

 

経済優先で環境破壊を伴ってきたこれまでの社会は成長の限界に達しており、環境負荷を減らせることから禁欲的なニューノーマルを歓迎する意見もある。

 

 これなんです。

 この方向が、いま起きている、大きなうねりなのです。

 では、これがいつごろから構想されてどのように進捗しているのかを次回は書いてみたいと思います。

 

                                                つづく


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