ドセ・パレス時代に、バストンというフィリピン武術を特徴づける発明が生まれます。
練習に使うラタンの棒です。
もちろん、練習で怪我をしないための道具です。
以前にここに書いたREINAさんはあれを分かりやすく「竹刀」と表現していました。
剣道が刀でなく竹刀を使うための技術にシフトしていったように、エスクリマにも同じことが起きます。
やがてドセ・パレスはお家騒動を起こして二派に分裂します。
そして、勢力争いとなってお互いをやっつけるためにタイマンばっかりするようになります。
もちろん、練習でやっていた棒でのしばきあいになるのですが、これがラタンではなくて黒檀を使っていて何角形にもなった八角棒みたいのが使われるようになります。
明治時代の剣道では竹刀の中に鉄線を入れてダメージを増す裏ワザがあったと言いますが、それに近い感じですね。
黒檀の棒のカドっこで相手を叩いて頭を割ったり骨を折ったりするのです。
このような決闘をバハドと言います。
この抗争は激化してゆき、どちらも技術の継承そっちのけで相手に勝つためだけに練習を始めます。
刀じゃないので相手の武器を掴んで使えないようにして、そのまま投げを打ったり、あるいは棒を握った手の拳骨でそのまま殴ったり。
フィリピン武術というと看板技のようになっているジョイント・ロックやディスアーミングというのはこの時代に発展した物です。
この時代にバハド用に出来た技術体系が、現代エスクリマのメイン・ストリームの一つです。
エスクリマってなに? というと「フィリピンの棒術だよ」となるのはこのバハド派のためです。
日本の剣道も、外国では竹を使った棒術だと言われているかもしれません。
方便が目的化したパターンですね。
この時の、バハドの中心となっていた一派が、ドセ・パレスを継承したカニエテ家が創始した流派で、これはカコイ・ドセ・パレスとしていまでも名門として続いています。
もう一派は、ドセ・パレスを離脱してバリンタワク通りにアジトを構えたバリンタワク派で、現代エスクリマのほとんどの流派はここにルーツを持ちます。
こちらの創始者は元々剣士の家のヒトではなかったので、バリンタワク派には初手からバストンの術しか伝わっていません。
一方、カニエテ家に伝わっていた伝統剣術は、サンミゲル・エスクリマ、あるいはドセ・パレス・オリジナルと呼ばれていまでもハワイ、テキサスなどで正式に継承されています。
また、バリンタワク派からはモダン・アーニスという流派が出ました。
開祖のレミー・プレサス先生はアメリカ統治時代に北米に渡り、そのまま悪い時代が訪れてフィリピンに戻ることはありませんでした。
そのため、実質、アメリカが本場とも言える状態としてこちらは発展、その名の通りの現代式のアーニスとして広く国際社会に普及されました。
つづく