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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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爆発と非爆発

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前に、ある現代武道の人が言いました。

「うちの先生が言ってたんだけど、うちは発勁と同じ力を発しないで誘導するんだ」

嗚呼、全然駄目です。

ダメダメです。

こういうことを平気で言う先生がいるから嘘や自己流が世間に広まってしまうのです。

あたかも自分が色々な流派を教士や師父レベルにまで体得したかのごとく軽々しく言ってしまって「●●流のやり方はこうだよ。××拳はこう」などと生徒に教えてしまうインチキ先生が。

こういう先生の下で嘘ばかり振り込まれても、効率的に実力が伸びることはまずないでしょう。ちゃんと物を教えられる先生のところに転向することをおすすめしたいです。

昭和の体育会系の先生方にはこういう方が多かったですね。「ボクシングなんて弱いんだよ、あんなもんバーンってやってドーンで終わりだよ」みたいなことをビール片手に平気で公言できるような人が。

大変失礼だし品性芳しくないと思います。

そして何より、指導力に問題ありです。

嘘や真実が伝わりにくい方法で人に物を教えて道を惑わす先生は有害です。

魔境にいざなっているに過ぎない。野狐禅です。

発勁は、必ずしも発しません。

前に書いた通り、少なくともうちの発勁は生の勁力で打ったりするものではありません。

とはいえ、実際のところ、動きとして瞬発する勁とそうでない物はあります。

これは単純に動作の問題で、開合を伴うか、震脚などをするか、という意味での瞬発です。

私がよそから見ている分では、ほとんどの門派が開合や浮沈を用いるようです。

ごく一部の門だけがしない。

うちや洪拳ではまずどのグループもしない。北の門では、同じ拳でも指導者のグループによってはしたりしなかったりというのがあるようです。

明勁から暗勁への転化というのが一部の門では語られていて、勁はやがて動作が見えなくなる、ということのようですが、実際のところこれは動きが小さくなってゆくよ、ということが多いようで。

うちで言えば初学のうちにやる重勁というのがわりに見える勁なのですが、これは一定の段階で重勁での打ち方を辞めるので、実際に重勁を続けているうちに質的に転化して暗くなるということはありません。

暗は初めから暗です。まったく違うシステムのものです。

なので、空手やボクシングをしている人が、チャンピオンクラスになったからと言って突然パンチの打ち方がまったく違う何かになるということはまずないと思われます。

チャンピオンのパンチは大変に上手なパンチであって、それは発勁にはなりませんしその必要はありません。これはチャンピオンにも我々にも大変に無礼な物言いです。もちろん我々はパンチは打てません。両者はまったくに、紅茶とコーヒーのごとくに違う物です。

パンチと勁が違うように、開合を伴う勁と伴わない勁もまったく違います。

爆発する勁と、爆発しない勁。

火薬には火薬の、鉄球には鉄球の威力があります。

鉄球が砕け散ってしまったら、速度は増すかもしれませんが力積が落ちます。

可能な限り誠実に、優劣のような物があるのかないのかで考えてみたのですが、どうしても見つけられませんでした。

どちらも伸びしろが大変大きく、功夫を積めば同じように人を打つには十分すぎる威力があります。

習得の容易さや疲労度の強弱、連打のしやすさや多方向性などは差異があるのだろうとは思うのですが、現状私は爆発する勁がしない勁と同程度まで理解できていないのでいかんともわかりません。同じレベルまでこの二種を体得した人なんているのでしょうか。そもそも、どうやって練度の計測を?

時々、テンポのある爆発系のグルーヴもいいなあ、なんて思うこともありますが、やはり私は静かな爆発のしない勁が好きみたいです。

優劣よりも、どちらが自分を自由に気持ちよくしてくれるかが大切な気がします。

本当の自由と言うのは、正しさに裏打ちされています。ただの思い付きではない。

開合してもしなくても、どちらも正しいのだからそれでいいのだと思います。

大切なのは、真実を正しく理解して身に着けるということだと思います。




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