いつも読んでくださっている皆さんこんにちは、初見の方は初めまして。こちらの記事を書いているSIFU翆虎です。
ここは仏教の身体文化の伝播、および南シナ海を中心とした海賊武術の研究を基に、カンフーマスターにしてエスクリマ・グランドマスタルの私が日々、社会や歴史に関するのたくりを発表しております。
現代社会を相対化するための仏教の思想やタオの身体哲学を活用しようとしているため、このところプロテスタントの作り出した現代資本主義社会についての記事がとても多かったですね。
今回は、それらのプロテスタント勢力がアジアに進出していた頃のお話をしましょうか。
アジアへの海域ルートを開拓したのは、16世紀のスペインとイギリスです。
両国ともに、カトリックとプロテスタントを代表する大国であり、この大航海時代に世界を支配していた国々ですね。
いわゆる世界一周ルートを開拓したのは、マゼランであり、そのために世界一周を最初に果たしたのはスペインだと言われていますが、ここで疑問が浮かびそうです。
あれ? マゼランてポルトガル人じゃなかったっけ?
そう、彼はポルトガル人ですが、スペインの艦隊を率いていたのです。
どうもこれはスペインの船団の伝統らしく、カトリック諸国から腕のいい外国人選手を雇ってきて任せるということが行われていたようです。
このマゼラン、南米の南側を周りこむ危険な海峡に踏破し、そこにマゼラン海峡の名を残すまでの偉業を達成したのですが、帰りがけにフィリピンで現地人と抗争となり、首長のラプラプ率いる舞台と交戦中に戦死しています。
ゆえにこのラプラプが、フィリピンのエスクリマドールの精神的なアイコンとなっているのですが、とはいえ対極的にはフィリピンはスペイン領に取り込まれて、王であったフェリペ2世の名を冠してフィリピンと呼ばれる国にまとめられました。
残りの、フィリピンからスペインまでの海路は彼なしで航行が行われたため、実際にはマゼランその人は地球一周をなしとげることはできなかったのですね。
それを最初に成し遂げたのが、イギリスのフランシス・ドレイクという海賊船長です。