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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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ジャオは腱にて

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 暑い中、ヴァイタリティの温存が最優先なので決して無理はしないのですが、日々自分が味わう分だけ練習をしています。

 気功をし、蔡李佛をし、岳家拳をし、五祖拳をする。

 それぞれが、良い方向に相互作用している気がします。

 と言うのも、元々は初学の三年間は長勁の武術と短勁の武術は並行して学ぶと効果が出ない、と言われていたのですが、功が積まれてくるとこれらを併修する例は多いのです。

 私の師父も、両者を平行し、融合の道を模索しています。

 私自身は長勁を得られただけで充分だと満足していました。

 心意拳類の考えでは、短勁を得てもその後に長勁に向かうので、先に後者を学べたから振り返る必要もなかろうという横着です。

 もちろん、歴代の名人の中に短勁で強力な力を発揮していた人が居ることも存じておりますし、また客家拳の驚弾勁が凄まじいということも学びました。

 師父自身も、短勁を非常に好んでおり、それは「性格の問題だ」と言っていました。

 結局、武術を用のレベル以上の次元で学ぼうと思うと、短に専心するか長に居るかは単に好みの問題なのであろうと思います。

 単細胞生物の研究をする生物学者と、霊長類の研究をする学者、どちらが偉いなどと言うことはない。

 学問として取り組むにおいて何を対象に選ぶかは純粋に本人の意向にのみよるのではないでしょうか。

 私自身は、いま短についてあらためて学ぶんでいますが、やはり好みとしては長勁が好きです。

 性格がそうなのでしょうね。

 ゆっくりとしていて穏やかで静かで居たい。

 暗の勁こそがしっくりきます。

 しかし、以前に書いた通り、短勁の要素はこの長勁の基底となるので、やはり短をしっかりと学びなおすことは素晴らしい経験となっています。

 暗を知っているためか、以前よりずっと静かで心地よく短勁に取り組めます。

 これはまた、身体の換勁度合いにもよるのかもしれません。

 ここからは大いに現状での私論、仮説となるのですが、腱の発達とそれは関係しているように思えるのです。

 腱というのは、ものすごく平たく言うと、骨格筋の頭の先の部分、筋肉が骨と繋がっている部分のことです。

 いわゆるきれいな筋肉と言うのは、筋肉の「腹」、真ん中の部分が盛り上がっています。

 腱はその逆、端の部分ですね。

 骨の部分は細くしまっていて、筋肉の腹部が丸く盛り上がっていると、いわゆるメリハリのある美しい肉体となります。流行りのフィジークやビキニの身体ですね。

 逆に、伝統中国武術家の肉体は全体にぬるっと丸くて海獣のようなフォルムであることが多い。

 私と同じロボコン・ボディです。

 これ、腱が発達して骨が立っているはずの関節部を覆ってしまっているからだと考えられます。

 一般に、格闘技や日本武術などは骨を活用するなどと言いますが、確かに関節の屈伸が目に付くことがあります。

 しかし、中国武術では腱を使うと良く言います。

 骨格そのものの屈伸を動きの主体にするのではなく、それを覆う肉そのものが動く。

 いわゆる「骨肉分離」の原理とはこのようなことであると思われます。

 そしてそのように肉が分断されずにつながることを「膜」と表現します。

 これを体得することが中国武術の練功の中で大きな意味をしめます。

 動画などで中国武術家の動きを見ると、中間動作が消えて見えることがあると思います。

 コマ落としのように、ピクッ、ピタッ、と動く。

 これは、本当にピクピク動いている訳ではありません。

 見よう見まねでやると自分で痙攣的に動いて止めてしまうのでしょうが、それとは逆に骨を用いず腱を用いると、力を溜めたり瞬発したりすることはなくても、間の動作が消えることがあります。

 ただ、もしかしたらこれは、筋力や体重を直接使うよりも頼りなく感じるかもしれません。

 骨を媒介すればそれらは使いやすい。

 しかし、それをしない。

 全身をつながった膜を用いると、その膜の中身が活用できます。

 つまり、この中身のことを丹田とも意訳して解釈が可能です。

 これが、老師に習った丹田の使い方と併用できます。

 気功を現代医学と並行している、医師の帯津良一先生は、体内の空間が気功においては重要なのではないかと考えていらっしゃいますが、まさにこの丹田とはこの空間と解釈ができます。

 老師から教わったのはそのような活用法です。

 これと腱の遣いを合わせると、ものすごく力が出ます。

 まさに金鐘罩の言葉通り、自分が中に空間のある鐘になったようになり、その振動を活用できるような感じです。

 身体を繋ぐ整勁だけでは相手を打ちぬく接触に要件が足りない場合がありますが、それは腱で行います。

 この時に溜めや力感はありません。

 ありませんが、長勁の感覚に慣れていると、ちゃんと中間での強弱が感じられてコントロールが利きます。

 いわば、短勁のやり方を長勁で出来るような感じです。

 こうなると大変に面白いし気持ちよい。

 体重を寄りかからせたり、ピクピク関節を痙攣的に動かしている人との差は、動きを見ると感じ取れます。

 それらは単純に体育的な体の使い方であって、ボクシングやテコンドーの巧者と変わらない。

 まだまだ、勁というレベルの動きではありません。

 他者に勝つ、強くなる、という段階でいうなら、このようなことが出来るようになる必要な無い。

 自分の利害のことだけ考えていればそれで充分。

 ましてや短勁と長勁を同時に理解するなど。

 ただ、世界の真実を知るための学問として武術に取り組むなら、これは大変に得難い宝です。

 まぁ、私一人がこのようなことを理解して分析してどうするんだということはあるのですが、本来は後継者に引き渡すためにやっていることなので、いずれ誰かがこの学問を引き継いでくれると何よりうれしいことですね。


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