この夏、ふと思い立ってコナンの古書はないかと思って調べてみました。
もちろん、ハワード先生の小説です。
パルプ小説が好きな私としては当然これは外せない歴史的名作なのですが、元々が書かれたのが1930年代という戦前のこと、日本で翻訳版が出ていたのは私が生まれる前です。
厳密に言うと、コナン・シリーズは翻訳が二種類あり、一つは先行して出された早川版、これが上に書いた物です。
その後、アメリカで別の出版社から出ていた物が創元社から出ていて、こちらが私たちの世代がオンタイムで読めた物です。
両者は収録内容に違いがあり、当時の私はすでに絶版していた早川版を求めて、神田の古書店でディグっては回収していた物でした。
そのようにして早川版はおよそ半分ほど入手していたのですが、残りがそのままになっていました。
COVID下での学びの季節にある夏ということで、これを思い出して検索してみたのです。
やはりすごい世の中になった物です。
即座にそれらを購入しました。一冊40円程度。
そのようにして手元にやってきたコナンを日々読んでいるのですが、その中にハッとさせられる作品がありました。
砂漠をさまよっていたコナンがオアシスの街に迷いこむと、そこは発展した技術を持った魔法使いたちが高度な科学技術によって自動的に作り出された食物と秘薬で命を繋ぎながら、ひたすら麻薬を摂り続けて迷夢の中に耽溺しているという場所でした。
そのような街がなぜ周辺にいるコナンのような賊に蹂躙されていないのかというと、砂漠の中に独立していて他所に知られていないことが一つ、それから街には守護神とされている化け物が徘徊しており、これが動く物が来ると食べてしまうからです。
この化け物、もちろん侵入者だけではなく住民も食べます。
しかし、住人たちは都を出て行くのも億劫がり、いつか自分の所にやってくるかもしれない守護神におびえながら、何もせずに迷妄に浸って生きている、というお話です。
これ、いつか自分のところに訪れるかもれない現実におびえながらも何の対策もせずにただポルノ的な仮想世界に耽溺して生きている現代日本人の姿そのものではないでしょうか。
戦前世代のハワード先生は、あるいはアヘンに溺れた中国のことをモチーフにしたのかもしれません。
しかし、この先見の明を鑑みるに、恐らくは当時から人類にはこのような傾向があったということなのではないでしょうか。