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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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三戦全套から見えてくる中国武術における実用の原風景

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 やったー。

 三戦、全套教わることが出来ました。

 もちろんまだ、形と順番だけで中身が出来るにはほど遠いので、これから一生かけてそれはやっていきます。

「三戦に生まれて三戦に死ぬ」という拳諺を教わりました。

 もう、嬉しくてしょうがないというのが第一にして最大の感想なのですが、それだけではなんの文章にもならないのでもう一つ、あくまでこの段階で気が付いた技法的な所見を述べてみたいと思います。

 套路、特に母拳の套路というのは練功の要素が強くて用法で観るべきではないと言うのが一般的だと思うのですが、この三戦でも前半は練功の要素が強い(死ぬかと思うほどしんどい)のですが、最後の数動作、ちょっとそれまでとは雰囲気の違う手業が連発されるのです。

 それらの動作、重大な基本功だと思うのですが、同時に基本の用法でもありそうです。

 それらには共通点がありました。

 全部解擒なのです。

 一般的にソロ動作として見ると手による打法なのですが、そう教わりました。

 その直前にあるのは、打節という破橋法です。

 つまり、相手の腕を打ち砕くための手法です。

 この、繰り返される相手との手のつかみ合いの攻防技法、実は蔡李佛でも多々出てきます。

 正直、套路の中の用法を習うたびに「また解擒法か……」というくらい、このあれもこれも解擒ばっか。

 どんだけ掴み合いの練習ばっかしてんだ。

 あとは脚をひっかけての摔(投げ)も多々。

 中国武術の動作は打、摔、擒が一体となっているというのは常識なのですが、にしてもこの解擒動作の多さは、むしろそもそもの共通認識としての戦闘のイメージが浮かんでくる物なのではないかという気がしてきました。

 現代人は、みんなボクシングや映画の中の格闘技的動作に洗脳されて先入観が出来ていますが、リングの上での試合など想像もしたことも無いような昔の人達からすると、生の戦いというのは我々が想像する「犯行」に近いのではなかろうかと思われます。

 離れた距離で間合いを維持しながらぴょんぴょんその場跳びをしてヒット&アウェイをする、などと言うのは専売特許のボクシングにおいてでさえ割と最近になって普及した技術です。

 60年代のスーパースター、モハメド・アリがその華麗なステップで「アリ・ダンス」と驚かれたくらいに、その時代においてさえ斬新な物だった。

 それ以前の生の闘争となると、これは試合などではありません。ましてや中国においてとなると。

 もっともメジャーにして歴史のある武侠小説の一つである「水滸伝」において繰り返し書かれる拳法シーンは、ほぼほぼ八割九割、犯罪描写です。

 つまりは、そもそもの中国武術の実用というのは、目標とした相手をとっ捕まえて逃げられないようにしておいて首を絞めるとか、襟首掴んで引きずり倒してタコ殴りにするとか、首根っこ抑えつけて凶器で仕留めると言ったような、生の生存競争の有様です。

 往時の反政府革命軍が使っていた蔡李佛拳や、海賊武術の五祖拳において、相手を倒したり片手でまず捕まえると言ったような動作が多いのは必然のことなのではないでしょうか。

 その状態をありありと想像した時、攻防としてもっとも起きうるのはボクシングのようなスキップしてのヒット&アウェイではありません。

 凶器を持った手を掴んで抑えつけ合ったりする攻防でしょう。

 これは現在でも犯罪捜査において抵抗痕と言って、手にもみ合ったときの傷の有無で被害者が争ったのか否かを想定するときの重要な証拠となっています。

 中国武術の解擒、および破橋の多用というのは、こういった生々しい闘争を想定しているためでしょう。

 手を掴んできた相手の手を解くというのは、護身術なんていう的外れな目的のためではありません。

 自分がつつがなく犯行を完遂するためです。

 それがスタンダードな中国武術のコンセンサスであったという視点から見ると、後代に発明された防身術の武術や競技散打武術という物の独自性が見えてきます。

 昔、防身術の拳法を練習している人に私の武術を指導した時に「自分がやってきたことがどれだけ使えないか分かった」と言われたことがありましたが、ちょっとしたセクハラにビンタを返すような武術と、お互いに刃物を持って転げまわりながら悪意を持って殺害をしあうために用いられてきた本物の戦闘の武術とでは、それは形式が違って当たり前です。

 一面的に見て使えるとか使えないとかそういうことではない。

 同じような場面で使う動作でも、目的や立場の違いによって用いられ方は変わります。

 日本柔術でも、元々は水辺にいる相手を水死させるための技だった物が、後代になってから水死させられそうになったときに身を守るための返し技になったという型を教わったことがありました。

 夜道に潜んで通り過ぎた相手を背後から襲う技が逆にその返し技になった例を聴いたこともあります。

 犯行の手段から護身術への変化は、社会情勢の治安レベルによって変化している物なのでしょう。

 都市部における新しい技術ほど、防身術の意味が強まる。

 そういう意味からフィリピン武術を見ると、一度中国武術の時代に上がった治安レベルが再度下がって相手をひっつかまえて凶器で襲う技術に先祖返りしていることが強く感じられます。

 元々、刃物や棍棒で武装しているのが前提とされている技術において、護身術だなんだというのはお笑い草のお話です。

 そんな、虫歯の原因にならないキシリトールみたいな消極的な理由で戦乱の時代の人間が何十年もかけて功を磨く訳がない。

 目的はあくまで能動的な行動のためです。

 だから技術としてはあくまでその原型の目的のための行動を意識しつつも、強弱勝敗を目的にすることはありません。

 そんなことには意味がない。 


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