今回も、映画の感想を書いてみたいと思います。
あえてタイトルは明記しませんので、なんであれ映画のネタバレは嫌だと言う方はいまのうちにご非難ください。
今回書くのは、タイム・リープ物の作品についてです。
この作品では、ある一日から抜け出せない男女が描かれます。
以前に書いた同様の作品「恋はデジャヴ」とは違って、抜け出せないのは人りではないのです。
と、いうのも、この作品は恋はデジャヴとある意味でスタッフ、シリーズが繋がっているような関係にあって、あえて意識していま作られたためにすこし別の視点に踏み込んでいるのですね。
前作、というか恋はデジャヴでは一人の男性が何週も同じ日を送っていましたが、彼がその日々を人助けに費やし、物を学び、心の徳を積むことで愛情に巡り合った結果、そこから抜け出せると言う「解脱」が描かれていました。
今回の作品では、同様にずっと同じ日から抜け出せない主人公がいます。
そして、同時に彼によってこの繰り返しに入ることになってしまい、以後彼を恨んで何度でも殺しに来るというサイコパスが居ます。
それから、同じく主人公の真実を知ってしまい、よせと言うのにそれに自分から飛び込んでしまって同じ一日を繰り返すことになった女性がいます。
この三者は、無限に続く同じ日の中で、それぞれの生き方をします。
主人公は、出来るだけこの日を楽しく過ごそうとすることに幸せを見つけます。
サイコパスの男性は、とにかく毎日主人公をターミネーターのように追いかけまわしてしつこく虐殺を繰り返すことに情熱を燃やしているのですが、やがて彼は、自分が永遠の生を得たということを理解します。
繰り返される日は天気も良く、美しい妻やかわいい子供たちが去り行くことなく傍にいるのです。
そこに彼は平穏を見出すことになり、虐殺を辞めます。
ヒロインの女性は、初めはこれはカルマを解決することによって出られるのではないかと「恋はデジャヴ」式の答えを模索するのですが、失敗。
そこで彼女は、物理学を学び始めます。
何度も何度も続く日々でも記憶は無くなりませんので、本を読み、オンライン・レッスンを受けて物理学の大家に成長するのです。
映画の中ではそのためにどのくらいの時間が費やされたのかは描かれていませんが、冗談で「十万歳の誕生日おめでとう」というシーンがあるので、可能性としてはほぼ永遠に近い日が過ぎ去ったかもしれません。
そして記憶が継続すると言うことは、その日々に適応出来ていなかったなら、精神に異常をきたしていたとしてもおかしくはないのです。
サイコパスの男性も十万年の日々の中でおかしくなっていたのかもしれません。
物理学を突き詰めたヒロインは、時空のねじれの理論を実証して、自らの力でここから出て行く方法を見出します。
そして、彼女を愛することになった主人公と共に、このループから出て行くことになるのですが、やっぱりここでも、延々と続く日々から抜け出すのは学問である、というインド哲学的な構造を観ることができます。
実際には、インドで信じられていたように何度でも生まれ変わって同じ日々を繰り返す、というようなことは恐らくは現実社会ではありまsん。
繰り返される同じ日々は有限です。
有限であるがゆえに、容貌は衰え、健康は失われ、力は弱り、どんどんと選択肢は減ってゆき、知能は落ちて精神は腐ってゆきます。
だからこそ、気が付いたときからその日々の下降線から抜け出すために、自浄し、向上するために物を学ぶと言うことが必要なのではないでしょうか。
永遠に続く日常はないのですよ。