愈大猷将軍から役目を引き継ぎ、軍備に向かった戚傾向は倭寇から回収した倭刀の切れ味を試してその製法を調査するという任務を部下に指令します。
ちゃんと倭刀が中国軍に制式されて中国武術として発展して行った歴史がここにも描かれている!!
この後も、戦地に向かうまでの戚傾向将軍の旅路が描かれるのですが、ここでちょっと文芸作品としてのテーマみたいなものが描かれます。
と言うのも、行った先々の自分の目にする守るべき人々が、みんなダメなのです。
陣営につけば、自分の兵士たちはごろつきと化しており、それが戚傾向将軍とは知らずに連れていた女房たちに目をつけて絡んできて「俺たちは戚傾向将軍の兵士だぞ」などと言ってきます。
こうなれば水戸黄門状態、戚将軍一派は「やっておしまいなさい」と乱闘になるのですが、ここで戚傾向将軍が振るう拳術が(さすがに自分の部下を兵器で殺しはしない)、よく見るとどうやら、八閃翻や纏封、鷹爪など、紀効新書で戚傾向将軍が書いている、戚家軍の拳法が用いられているようなのです。
細かい部分までちゃんと描いている。
なんとなく見栄えのいい映画武術をしている訳ではなくて、こういうディティールで歴史を表現しています。
こうして、自身の武術の腕で部下たちを一喝した次のシーンでは、信頼関係が出来て彼らと腕相撲なんかしています。ほとんど本宮ひろ志の世界。
部下たちを手名付けた将軍は今度は守るべき土地に行くのですが、ここでも住民たちが鉱物をめぐって抗争を繰り広げています。
戚将軍は鉱山を牛耳る親方に考証を試みるも「言葉なんかは信じねぇ! 俺が信じるのは拳だけだ!」とうそぶいた親方とタイマンになります。
ほとんど少年漫画の世界です。
しかし、この後で急に痛快少年漫画的ではない、水滸伝的な天界が待っています。
男気と腕っぷしで部下たちをまとめ上げ、様々な新武術と最新兵器(三眼砲や虎蹲砲)の調練シーンが描かれます。
これ、火兵が中国武術に取り込まれているというまたちゃんとした描写です。
ここまでは良いのですが、この後が問題です。
部下の前で、戚傾向将軍のメンタルがヘラなおくさんが発作を起こして、彼をひっぱたくという事件が起きてしまいます。
これを見た熱き血の中華的好漢である戚将軍の部下たちは「安心してください! 将軍の手を汚させはしません、俺たちが奥方を抹殺しておきます!」とにこやかに邪魔な要素の抹殺宣言をホウレンソウしてきます。
この辺、いかにも中華だしきれいごとじゃない戦争と組織権力です。
この、戦争と組織の力学の部分は倭寇たちの中においても描かれます。
倭寇たちは主に三つの要員でなりたっていて、一つは本当の日本人である真倭の中の、武士たち。
それから、単なる略奪者の野武士たちのような牢人衆。
そして、中国人の海賊たち(そのまま倭寇に参入した現地人含む)です。
実際はこれに加えて、スペイン、ポルトガル、オランダの海商(と言う名の海賊たち)やシナ海の住民たちも参加していたそうなのですが、この映画ではその部分はスポイルされています。
指揮をしているのは真倭の武士たちということになっているのですが、この武士たち、実は松浦藩の家中の者たちで、戦国の覇者となる土台の資金を得るためにこの戦を画策しているのです。
そのために略奪者たちを率いているのですが、副将である松浦の若様は、このような略奪者に心を痛めています。
対象である若の師匠の老軍師は「目的が違うのだから仕方ない」と放置しているのですが、若様は牢人衆に向かって「我々は本物の武士だ! お前らとは違う!」と罵ったりしてしまいます。
そして、現場で略奪をしている牢人衆たちは、すでに中国語での意思の疎通が出来ていて、現地の略奪者たちと心を通じ併せています。
こういう、組織論もきちんと描かれています。
つづく