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武縁が無い 1・敗北者からの手紙

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 暑かった八月が終わって、九月一日より秋雨前線が到来しました。

 私は無事二度のワクチン接種も終わり、受験にも合格して、昨年帰国してパラダイム・シフトに対応すべく生き方全ての進路を変更した結果が一つの峠を越えたような感を得ました。

 このまた数年後にある関門に向かって進んでゆく気持ちを新たに、入学までの半年ばかりを相変わらず学問の日々として送りながら学費を稼いでゆきます。

 ここの記事を見に来てくださっている皆さんも、学問と前進の日々を送ってらっしゃいますでしょうか。

 今回書くのは、せっかく私の所にまで来たのに、まったく武縁がないと言う人たちのことについてです。

 こちらで書いている記事には、たびたび明らかに発達が障害している人、人格が障害している人などが愚にもつかない私情を垂れ流していくことがあるので難儀していたのですが、少し前にもやはりそのようなことがありました。

 そこに書かれたことをかいつまみますと、前半では「なぜ空手を悪く言うのか」ということが書かれていました。

 続いて「武術などと言うのは清水の次郎長の時代からうさんくさいものなのだから、それでいいのだ」ということが書いてありました。

 後半は論旨を得ることが出来ず、恐らくは私の分をちゃんと読んでいないか酔っぱらっているかだ、なにがしかの障害の結果だと思われます。

 ですので、後半に関しては取り合わないこととするのですが、前半のことについて個人的に一つ言いたいことがあります。

 清水の次郎長の時代なんて、江戸時代ですよね。

 日本で流儀武術が生まれたのは室町時代後期、戦国末だと言われています。

 隆盛したのは江戸時代。

 そんな最近の話を、中国武術の歴史を滔々と書いているページで言われても困ります。

 人類史上の歴史について、キリスト教文化から資本主義批判、文明病に対する仏教や老荘の視点からの警告と対策と言う物を取り扱って、武術や身体哲学の視点から書くことを趣旨としているページに、そんな最近のことを言われてもこまります。

 その部分が致命的に論理的に破たんしているのです。

 質問に回答するとするなら、だから明治以降の近代に生まれた空手は現代病に蝕まれた土壌に成り立っているので批判をしている、というのが答えです。

 きちんと文章を読んでからコメントしてください。

 以上がこの方個人への回答と初見です。

 その上で、今度はこれを題材に、いつもと同じく現代人の病弊、大衆の傾向について書きたいと思います。

 こちらが本旨です。いつも通り、私はつまらない個人攻撃などには興味がありませんので、以下は上記の方とは直接関係はありません。あくまで大衆の論の類型として取り扱います。

 このページに匿名で書いてきた多くの著名人や政治家の人々と同じく、現象としては扱いますが特定の個人としては取り扱いません。

 今回とくに取り上げたいのは、この大衆の「他人の足を引っ張って何かをした気になりたい」という欲求についてです。

 これまでも散々取り上げてきた題材ですが、今回は自分あてにわざわざ送られてきましたので、それを解体してゆきたいと思います。

「武術は元々うさんくさいものなのだから、それをうさんくさいと否定するな」という暴論ですが、これは社会に蔓延している悪習を改めて世の中を良くしようとしている人間に対して「人間なんて元々そういうもんだよ」などとさも利いたようなことを言って低い方に引っ張ろうとする人々というのは常に居る物です。

 自分が低いところに居るのは自分の好みなのですから他人はほおっておけば良いのに、他人も低い方に誘導しようという努力をします。

 これはどのようなことなのでしょうか。

 一つには、その低みから既得権益を得ている場合ですよね。

 特に、人目につかない仕組みが出来ていてひそかに利益が獲得し続けられている場合はこの仕組みを確保したくなります。

 ある程度その存在が知られてきてバレ始めても、手が入るまではこのような姿勢に入りがちなのではないでしょうか。

 観光業界と政界の癒着からくる、感染症下でのちぐはぐな政策などはこの手の典型でしょう。

 自粛しろ自粛しろと言い、支援金は出し渋って自助だ自助だと言いながら、人流を増大させるような運動をし、オリンピックを招き、パラリンピックには学童や学生を動員させる。

 このような、利権以外の意味がまったく見られないようなことというのがこの国では置き続けています。

 これがね、私が書き続けてきた、資本主義と大衆政治、愚民化政策による現代社会の病弊なので、それをどうにかしようと草の根でありますが、こういうところでちまちま文章を書いているのです。

 それを「もともとうさんくさいものなのだからいい」と言うのはとんでもない開き直りです。

 政治家が利権のために不正を働いている「政治などもともとうさんくさい物なのだから文句を言うな」、オリンピック会長が資本力を盾にやりたい放題をしている「オリンピックなど元々うさんくさい物なのだから文句を言うな」、大衆が愚行を重ねて感染を広めている「大衆などもともとうさんくさい物なのだから文句を言うな」。

 話が逆です。

 胡散臭い物なのだから、あらためる努力が必要なのでしょう。

 こういう人って、自分の娘や妻が目の前で暴漢に襲われても「男など元々胡散臭いものなのだから」と拱手している物なのでしょうかね。

 そういう血の通っていない言葉しか吐けない人間の発言など、本来取り合う価値はありません。

 しかし、このような敗北して無力感に囚われ、かつその場所での利潤を舐めることを覚えてしまった大衆にも、立ち直るべき機会は必要なのです。

 それを訴えるためにいまこの文を書いています。

 敗北して無力感が世を覆うと、これはもう悪事で利益をむさぼる人々のやりたい放題しか世の中には残らなくなるからです。

 そしてその腐敗は腐敗を呼んでゆきます。

 それを避けるために、人々の見識を開いてゆかないといけない。

 過酷な世の中で、一人一人がふてくされて腐ってしまうのは仕方がないことだと言えます。

 しかし、その腐敗が世を腐らせるようなことは断じて避けたい。

 

                                                                          つづく


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