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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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武縁が縁が無い 3・自分

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 前回、あるサッカーマンガの前半の粗筋を書きました。

 一見、これでもう内側に問題はない、あとはスポーツに精を出すだけだ、と思われるところまでを書きました。

 しかし、実はそこからが本当の問題となるのです。

 負傷は抱えている物の、各自それなりにリハビリをしてサッカーをしている一年生選手たちでしたが、主人公以外にはある共通の目的がありました。

 彼らは実は全員、主人公と同じく、強豪校への特待生内定をもらっていたのですが、同じチームのライバルたちに試合中に怪我をさせらえて選手生命を絶たれたという身の上の持ち主でした。

 傷めどころを抱えながら頑張ってある程度まで試合が出来るところにまで復帰してきた彼らの目的とは、強豪校との試合にまで出て行って、そこで自分の代わりに繰り越しで特待生となったライバルに、故意にチャージを仕掛けて再起不能にすることだったのです。

 彼らはそのためだけに相手を破壊する殺人技を磨いています。

 普通スポーツマンがに出てくる必殺技と言うのは勝利をする代わりに自分が怪我をして再起不能になりかねないような物なのですが、彼らの磨いてきたのは自分も怪我をする代わりに相手の選手生命を奪うためだけの殺人殺法です。

 誰もまともにサッカーをする気がない……。

 そんなことをしてなんになるんだ! と主人公は問いかけるのですが、とにかく復讐をしたいと。

 前回書いた堕落した先輩たちの物分かりの良さが、マンガの構造としては非常に理解できます。

 つまり、主人公のチームメイトたちのほうが、彼らと同ベクトルでさらに悪質な物になっているのです。

 とにかく自分が滅んででもにくい相手の足を引っ張って自分と同じ泥沼に引きずり込んでやろう、という一念が彼らを突き動かしています。

 この、誰のためにもならない選択……。

 すべての人を不幸にするしかない欲求……。

 これに対して主人公はどうするのか。

 一人一人、自分のチームメイトたちを倒してゆくのです……。

 もちろん、チームの勝利なんてものは望むべくもありません。

 自分の希望もありません。

 ただ、仲間だと思った者たちに罪を犯させないためだけにそうしてゆくのです。

 このマイナスの物語の主人公というのは、決して栄光には向かわない、泥沼の環境の中で人知れず身を削って道を正そうとしています。

 この生き方、泥から咲いた蓮のようではありませんか。

 それぞれにそれぞれの自己の立て方があります。

 どのように立てるかは、自分の自由なのです。

 せっかく良い物、高みに行ける物の前まで至ったのに、それを妨害しようと言う我欲に染まるのはこれはもう、武縁が無いとしか言いようがない。

 どれだけ善い知恵があり、恵まれた環境にあっても、縁なき衆生は度し難しとお釈迦さまも言われています。

 

追記

 たまたま何かを検索してここに流れて来た方の中には、「へー、この人はカラテを悪く言ったんだ、なんでだろう?」と思った方が居たかもしれません。

 それは、このページが伝統的な身体哲学が文明病を克服する手段であったと言う視点から人類史を辿ってきて、現在の資本主義社会の曲がり角について考えているページだからです。

 それらについて書いてきた文章の中で、現代武道と言うのは資本主義が潜在的に内包した植民地主義と帝国主義を背景に持つ物であり、日本においては空手と言うのはそのような物の具体だとして扱いました。

 上に挙げた現代資本主義の負の側面は経済最優先のオリンピックに象徴される現代体育の大きな暗部だと思われます。

 実際、日本の現首相は空手を五輪競技として推したことによって全空連から最高位である九段位を贈られました。

 その「功績」の結果として行われたのが今回のあの五輪です。

 政治利用と経済優先主義以外の何がそこに見られたことでしょうか。

 あの強行の背後に、最高位九段の先生が行動してみせた空手の精神があったと団体が権利団体が裏打ちしていることは間違いが無い訳です。

 あのような行為に反対しているなら協議の開催を辞退すれば良いのですから。

 協議の数だけの団体が五輪の後ろにはあるのでしょうが、その中で誘致や運営の褒賞として首相に組織内の位を贈答したような団体が今回他にありますでしょうか?

 私は寡聞にして聞きません。

 ウェイト・リフティングの記録をあげたり審判としての審査資格を贈ったりした団体がありますか?

 そういう権力との癒着丸出しなことを平気でやってのけてみせたのが空手であり、それを良しとしているのが空手の精神と言うことでしょう。

 私は五輪に反対でしたし、開催を強行したことに非常に遺憾の意を抱いています。

 バブル方式だから安心安全だなどというのは大嘘で、デルタ株を持ち込んでくれましたね。

 私の友人たちの間でも感染が広がっていて、私的な怒りも募っています。

 以上のような現実の積み重ねの上に、なお空手と言う物が階級的資本主義の象徴であり、文化帝国主義そのものであり、愚民化社会の教育手段の一つであると言うことを主張することに異存がある方は、まず空手団体に働きかけて先生方から五輪の開催における責任を保障して、自分たちの団体の最高位九段の首相に責任を取ってもらい、かつデルタ株への対策を終えた後、改めて私にお話を持ち込んでください。

 そんなことはする必要はない、それらのことは悪いことではない、というのでしたらお話を聴きますが、一つでも身に覚えのあることで責任があると思うなら、原状回復をしてから言い分をお願いいたします。

 私は今回のようなことをずいぶん前から警告していたのであり、実際にそれが起きた現在、二度と繰り返されるべきではない物としてこうした文章を書いています。                   


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